恋した罰なら受けるから

幼少期

ばきっ。

「いてぇっ!」

 ロイドがうめいて頭を押さえた。そこには先生が見下ろすようにたっている。

「……宿題を忘れたという罪の意識はないのかしら?」

「だけどよ」

「言い訳無用よ。立っていなさい」

 乾いたきゃきゃきゃきゃと言ったような笑い声が教室に響く。ロイドはむっとした顔で立ち上がった。

 前の席のジーニアスが振り返る。最近お友達になったばかりだ。このごろ、表情が明るくなったと思う。初めて会ったときは、何か恐れているような顔をしていたのをよく覚えている。

 何でかなぁ、と首をかしげていたところに、ひそひそと噂をする人の話が入ってきた。

「……エルフの姉弟が引っ越してきたらしいわよ」

「エルフなんて……なにしに来たのかしらねえ」

 ああ、そうか。エルフは、ハーフエルフほど冷たい目にさらされてはいないけど、でもやっぱり、別な存在なんだ。

 そうは思ったけど、真っ先に私に浮かんできたのは、嫌悪でも何でもなくて、「私と同じなのかも」ということだった。

 神子は世界を救う。いや、命をかけて世界を救わねばならない。十六歳には旅に出て、天使になって世界を救わなければならない。エルフも、人間とは間違う。異端と呼ばれる存在。一緒だ。突き詰めれば、ほかのみんなだって一緒には違いない。

 要するに、お友達になりたかったのだ。だから、ロイドも、私も、ジーニアスとすぐに仲良くなって、よく三人で遊んでいる。

「ロイド、どうしたの? なんかしたの?」

ロイドは後ろの席だから、ジーニアスには寝ている事が分からなかったみたいだ。

「居眠りしてたみたい。すごく気持ちよさそうだったよ」

「コレットらしいね……」

呆れ顔でジーニアスも笑った。

 

 帰る時刻になって、ふとロイドの席を見ると、ロイドの姿がなかった。さっきまでリフィル先生に付き添って手伝っていたから、気がつかなかった。

「先生、ロイドは?」

「ロイドなら、宿題忘れと居眠りの罰として当番の子と掃除をやらせています。ジーニアスも付き合ってあげているみたいだから、先に帰っていたら?」

「そうですか……私も手伝いたいです」

「あら、優しいわね。校舎の裏にいるはずだから、そっちに行ってみたら?」

私は校舎裏に足を運んだ。

 

 やってきた校舎裏で、私は思わず身を隠していた。

 空気がなんだか濁っていて、私はこの状況がおかしいということがすぐにわかった。そこにいるのはロイドとジーニアスだけ。掃除当番の子がいない。代わりに、見覚えがあるけど名前は知らない──多分イセリアの大人のひとが三人いた。

「あまり神子様に迷惑なことをするんじゃない。寄り付くな」

「迷惑なことなんてしてねえよ。友達だから遊んで何が悪いんだよ」

ロイドが口をとがらせる。ジーニアスはおびえ切った表情で、大人の人たちを見ている。

「ごめんなさい、僕──寄り付くだなんて」

「神子様がどれほど迷惑しているかが分からないのか!」

迷惑なんてしてない。だけどとっさに声が出なかった。

 ロイドはやっぱり不服そうに大人を見やった。

「俺はコレットと遊んでるだけなのに、なんで迷惑になるんだ?」

「お前みたいなやつらが──」

「迷惑なんてしてません」

震えたけれど、声は出た。みんながこっちを振り返った。

「わ、私はロイドたちと遊べて楽しいです。ですから、責めないで下さい」

大人の人は顔を見合せてから、

「……他の掃除当番の子は帰らせたからな。二人で掃除でもしておけ」

と、早口でまくし立ててどこかへ行ってしまった。

「……コレット」

ジーニアスが恐る恐る言った。

「僕たち、迷惑じゃないよね? 友達だよね?」

「うん! 当たり前だよ」

「だよな。あいつの言ってること全部分かんなかった。先生の授業ぐらいわかんねえ」

「ば、馬鹿だなー。姉さんの授業の方がわかりやすいよ」

そこで少しいいあいになっているのを聞いて、落ち着いた。良かった。

 でも……足がすくむ。


 なんで?

 私が嫌なら、私がロイドとジーニアスと一緒にいるのが嫌なら、私に言えばいいのに。私を責めればいいのに。

 何で、二人を責めるの。何で……ロイドを責めるの?


 泣きそうになって、でも、ここで泣いちゃったら二人に悪い気がして、精いっぱいこらえた。その様子を見て、ロイドが心配そうにする。

「どうした? コレット」

「な、何もないよ。えへへ。 じゃあ、お掃除手伝うよ」

私は箒を手に取った。ロイドは何も言わずに、笑ってくれていた。

 

「最近勉強ばっかりだなー。飽きないのか?」

「えへへ、旅に出るまでに全部わかっておかなきゃいけないもん」

「ロイドとは違うもんね!」

 掃除を終えていったん家に帰ってからのこの時間、実は私は勉強している予定だった。というより、実際、先ほどまでしていたのだけれど。

 お父様と天使言語の勉強をしていたら、ふいに見た窓から、ひょいとロイドが顔をのぞかせていたのだ。思わず立ち上がってしまった私に、お父様はやさしく、「遊びに行きなさい」と言ってくれた。お父様に悪いとは思ったものの、ロイドが迎えに来てくれたことが無性にうれしくて、私はうなずいていた。

 ロイドと一緒にジーニアスもきてくれていた。その表情は明るさを取り戻していて、安堵した。

「──ばかにすんなっ! 大体リフィル先生が厳しすぎるんだよ!」

「ロイドが頭悪いだけじゃないのさ」

だよね、とジーニアスは私に話を振った。私は少し考えてから言った。

「勉強は難しいけど、でも、リフィル先生は優しいよ〜」

口をとがらせるロイドを見て、くすくすと笑う。

「でもロイド、今日で叱られるの何回目かなぁ? 立たされてたし」

「アレはロイドが宿題忘れた上に居眠りするのがいけないんだよ」

「宿題したらどうせ徹夜になるんだからどちらにせよ居眠りするだろ」

そこでジーニアスが声を上げた。

「そう言えば、今日の宿題はロイドやった?」

「あーやってねえ!」

ロイドが頭を抱えた。そのポーズを見るのは二回目だ。私はロイドの顔を覗き込んだ。

「じゃあ、今からやらない? これから頑張ろうよ」

「頼むーコレットー!」

 ロイドは今度は私を拝んだ。ジーニアスもやろうよ、と振り返る。ジーニアスが口を開いて何か言う前に学校の方から声が聞こえた。

「神子様!」

 ジーニアスの口は本来言おうとしていた音をのみこんで

「コレット、呼んでるよ」

「うん、わかった。じゃあ私の家で」

そう言うなり、私は声の方向へ駆け出した。


「……お家で勉強していると聞いていたから驚きましたよ、いなくて」

 呼んでいたのは三人の大人たちだった。あの大人だ。

「…ロイドとジーニアスと遊んでたんです。お父様は許して下さったんですけど」

大人はみな一様におもしろくなさそうな顔をした。

「ロイドと……それで天使言語のお稽古を放ってしまったらいけませんね」

「……ごめんなさい」

用は何なのだろう、と一度伏せた顔をあげた途端、腕を引っ張られた。

「さぁ、家に帰りましょう」

「あ、ちょっと待って下さい!」

思わず叫んでいた。怪訝な顔をして振り返られる。

 ──怖い。

 次に出しかけた声が引っ込んだ。

「どうしたんですか?」

「な……何でも……」

「ならいいです。行きましょう」

 ぴしゃりと言いのけられて、私はわかった。この人たちは私に逆らってほしくないんだ。神子としておとなしくしてほしいんだ。

 そんなに、友達と一緒にいちゃいけないのかな。ロイドたちといるより、この人たちといるほうがつらいと感じる。でも黙っていた。……ロイドとジーニアスは家にいるはずだし、勉強もしようって約束だったから、また会えるよ。

 前向きに考えようとした時、私の手を引いていた女の人が冷たい声で言った。

「……あの子たちと遊ぶときは気をつけるんですよ」

「え?」

「ドワーフに育てられた子と、エルフでしょ。何するか分からないんですから。一緒にいたら神子様まで巻き込まれてしまいますよ」

「どういうことですか?」

私は思わず言い返していた。

 私にはロイドとジーニアスと一緒にいない方がいいって聞こえるよ?

「どういうことって……そのままの意味です。お願いです。神子様の命は神子様のものだけではないのですよ」

 胸の奥に鋭い刃が突き刺さった。

 知ってる。痛いほど知ってるよ。私は私の感情を優先させちゃいけない。もし世界が救えなくなったりしたら……そんなのダメだよ。だけど、ロイドたちと………一緒にいたい。

「……だいじょぶですから」

私はできるだけ優しく女の人の手を振りほどいて、走った。

 私は私のわがままを認めるのが嫌だった。この気持ちがわがままだって認めたくなかった。ダメな神子だ。

 私は天に消える。こんな愚かな神子を、どうか許して。


 家に飛び込むと、お父様の顔が見開かれた。

 ロイドもジーニアスもいないらしい。

「どうしたんだい、そんなに焦って……」

「あれ? ロイドとジーニアスは」

「さぁ……ロイドは家の方向に帰っているのを見たよ」

 え? 約束してたのに、確かに勉強しようって約束してたのに。

──なんで?

 そう思ったとたん、学校のことが駆け巡った。

 ロイドたちは私のせいで文句を言われた。私といたら巻き込まれる。さっきのことは偶然見つけられけど、今までもずっと言われ続けていたとしたら? 私のせいで辛い思いをしていたとしたら?嫌がるのだって当然だよ。
 
その場に座り込んでしまった。

 そうだよね、世界を救うために生まれてきたのに。なのに、友達を作りたいなんて、一緒にいたいだなんて、許されるはずがない。バカだね。私………。

 私は天に消える。世界のために、みんなのために。

 足音が聞こえた。


「おっ、こんなところにいた!」

 思わず体がびくっと震えた。

 ひょこっと、玄関口からロイドの顔が見えた。眼の前で手が合わせられた。

「ごめんな! ノイシュを待たせてるの悪かったから、一回連れて帰ってたんだ。親父がドワーフびっくり鍋してくれるって言うから、俺の家でやろうぜ」

 見捨てられたわけじゃないことがわかって、息を大きくはいた。良かった……。

 すっかり脱力してしまい、立ち上がれなくなる。

「どうしたんだよ、コレット」

「あ、ちょっとびっくりして……でもだいじょぶだから」

 ごめんね。ロイド。

 あなたを苦しませるくらいなら、あなたの近くから消えてしまえばいいのに。でも私はできなくて、辛くて、できなくて。

 ロイドと離れたくない。ごめんね。好きなのに。好きな相手を苦しませるなんて、最低だね。ロイド。ごめんね。

 あのちょっとの年月だから、一緒にいて。

 
「……仕方ねーなー」

 ロイドはしゃがみこんで……私の手を握った。

「え?」

 引っ張り上げられて、自分でも拍子抜けするぐらいに、簡単に立ち上がれた。

「ロイド……」

「ジーニアス待たせてるからな。行こうぜ!」

 家から飛び出て、駆け出す。勉強道具一つ持ってないけど、いいや、と思った。

 だって、つないだこの手を放すのはもったいなくて。

 私たちは手をつないで、ロイドの家まで走った。振り向いてロイドが笑う。
 

 ああ、どうか神様、こんなに屈託なく優しく笑う人を、苦しませないでください。

 私なら、私だけなら、天使になってもいいから、この世から去ってもいいから、忘れられても──忘れられてもいいから。

 今だけでいいの、お願い、私の視界からこの人を取り上げないで、どうか今だけはこの人と手をつないで、恋した罰なら受けるから、どうか今だけはこの人と手をつないで、

 
 どうか 、どうか
 
 お願いだよ、カミサマ。

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