紅茶の波紋と白昼夢

何度も繰り返し、同じ夢を見た。

「ガイ、どうかしたのか」

赤い髪の少年が、ガイを見て首をかしげる。

「いや、なんでも……」

うたた寝か、それとも白昼夢か。

いつもは、二日に一回ほど見る夢を、ここのところ一週間に七回以上のペースで見ている。

ガイは屋外で、白い椅子にルークと向かい合わせで座っている。指先には、紅茶の入ったティーカップが収まっている。

「………ルーク様、これからどうなさるのです?」

「情勢の教育を受ける」

ルークは紅茶を一口飲んだ。

「熱心ですね」

ガイはそう呟いてから、愛想が悪いな、とふと思ってしまった。

自分は使用人なのに、感情を表に出してしまえば全てが水の泡。

ルークはいずれ国を治めるからな、と短く答えて紅茶を飲みほした。そして、椅子から立ち上がり、王宮内に去っていった。

ガイのティーカップにはまだたっぷりと紅茶が入っている。

紅茶に映ったガイの顔はルークの座っていた椅子の位置を見つめており、

そして、紅茶は歪み、冷たく黒い微笑を映した。

 

ガイは、先刻の白昼夢の内容を思い出していた。

夜中だった。

白光騎士団はいても、貴族や使用人は、そうガイも含めて全員が眠っているはずの時間帯。

しかし、ガイの眼と思考は冷めていた。

手には、剣を携えている。

廊下をつきすすむにつれて、自分以外の足音が聞こえた。

右に廊下を曲がると、白光騎士団の一人がいた。

騎士は訝しげにガイを見た。そして次の瞬間は、考えることはできなくなっていた。

騎士の身体を、ガイの剣は貫いていた。

騎士は音を立てて倒れ込んだ。ガイは感情を込めない瞳で、横たわったその死体を見つめ、そしてまた前進した。

メイドも二人ほど殺していた。

ガイはここの使用人である。そのために、誰も警戒していなかった。

ガイがまっすぐ向かったのは、ルークの私室だった。

いや、ファブレ公爵の子息というべきか。それとも復讐相手の息子というべきか。

眠っている間に喉を掻き切ってもいいし、胸を刺して殺してもいい。

同じ思いをファブレ公爵に味わせてやるために。

どんな顔をするのか。

ファブレ公爵、シュザンヌ、ナタリア。

夢の中では一切出てこなかったが、ヴァンと協力することになるだろう。

そして、公爵家のものは多分全員殺すことになるだろう。

夢の中では、ルークを殺したところでいつも途切れる。

実際にはこんなにうまくはいかないだろう。

でも、十分すぎるほど、イメージトレーニングをしていた。

そして、何度も何度も、ルークを殺していた。

どれくらいどう殺していたのかは、もう分からない。

 

しかし、ある日を境に、その経験は全部崩れた。

 

「なんでそんな言葉づかいなんだよ」

それはあなたの方こそ、なぜそんなに砕けてるんですか。

そう言おうと思ってやめた。

ルークは今、記憶を失っている。誘拐されたショックでのことらしい。

見つかった時は、赤子同然だった。

今まで王族として学んできたすべては失われた。


そして、ルークはガイに言う。

「いいよ、ため口で。固いとなんかうぜぇし」

以前のルークからは考えられない。

そして、記憶を失ったルークに仕え始めてからは、

最近めっきり夢を見なくなってしまった。

恨みも、憎さも、すべて胸の中にある。

まだ、失われてはいない。ファブレ公爵も公爵家のものも憎い。

しかし、ルークが憎い……?

そこで詰まってしまう自分が、怖い。

今、俺はもし、チャンスが与えられたとしたら、ルークを殺せるだろうか。

目の前で何も知らずに歩くルークを見て、ガイは静かにため息をついた。

「お、うまそうだな」

ルークはガイの気も知らず、中庭でお茶を入れていたメイドに話しかけた。

あの時と同じ席、同じ場所、そして、同じ薫の紅茶。

「ええ、お飲みになりますか?」

メイドはルークに微笑みかける。

そしてルークはガイに言う。

「ガイも飲もうぜ!」

ガイはかぶりを振った。

「いや、遠慮しておく」

「なんだ、また音機関かよ」

ルークはつまらなさそうに口を尖らせ、白い椅子に上った。

ガイははは、と笑ってその場を後にする。

当然かもしれないが、今日は音機関を何する予定もなかった。

だけど、

どんな顔をすればいいかわからなかったから。

 


そして、あれから数年がたった。

 

あの夢を見た。

 

情景は同じ。今回は騎士もメイドも殺さなかった。

ただまっすぐ、ルークの私室へ行った。

ルークの部屋の前で、なぜかあの紅茶の香りが、甘い紅茶の香りがまとわりつく。

ガイは、ドアを開けた。ルークが、眠っている。

ルークの身体は17歳で、そして髪はきり落としていた。


そこでガイは、剣をなくしてしまった。

おかしい。

今手の中に力強く握っていたのに。

暗闇の中を視線が泳ぐ。

赤さだけが、はっきりと映る。血の赤さではない。髪の赤さがはっきりと映る。

剣の柄が見つからない。

いや、確かに握っているのだ。ただ、それをどこに振りおろせないいのか忘れてしまっただけだ。

俺の剣は、何のためにあるんだ?

ガイは剣を両手に握りかえる。

本来なら辺りに人はいないはずなのに、

いつのまにか部屋のドアを開けてたくさんの仇やその仲間達が顔を覗かせている。

ファブレ公爵、シュザンヌ、ナタリア、インゴベルト陛下まで。

本来ならすぐに止めにかかられているだろうが、

ドアからこっちを見ている人々はただ驚いているだけで、何をしようともしない。

今がチャンスのはずなのに。

これを振り下ろす先がわからない。剣先が震える。

これを振り下ろす先は──?

 

刃が、落ちた。

 

 

ガシュッ。


鮮やかな血が飛び散った。髪の赤さでも人の血でもなかった。魔物の血だった。


まさか、

 白昼夢?


ガイは呟いて、剣を魔物から引き抜いた。

戦場で白昼夢を見るなんて……ガイはため息をはいた。

魔物の先には、剣を取り落としていたルークが座り、苦笑いしていた。

「助かったぜ……ありがとう、ガイ」

「あ、ああ」

ガイは髪をかきあげた。

「もうここに魔物はいないわ」

「さぁ今のうちに行きますよ、ガイ」

声を掛けられ、ガイは頷いた。


俺の剣は、ルークを、仲間を守るためにあるんだ。


纏わりついていた、紅茶の香りはもう思い出せなくなっていた。

もう、俺はこの夢を見ることはないだろう。

確信だった。

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