Powerlessness

レムの塔音素乖離後

「ふう……」

いつものとおり、襲いかかってきた魔物を返り討ちにした。

「案外きつかったな…」

「六分のロスよ。行きましょう」

みな武器を収めた。アニスがトクナガを背負いなおし、言う。

「もう暗くなっちゃったんだから、早くしようよ」

「ああ」

自分も立ち上がり、剣を腰に収めたその時、


手が、ぼやけていく。


「どうしたんですの?」

仲間たちが駆け寄ってきた。しかし、何をする間もなくすぐに手の輪郭は歪んでゆく。

手だけじゃない。腕から肩、頭、下半身まで。

嘘だろ……もう、消えるのかよ……。

急に寒くなっていった。

すべて歪んでゆく。体の輪郭がなくなってゆく。

怖い。

怖い!

涙も出た。苦しい。いやだ。

仲間たちの風景も歪んでゆく。全身の音素が乖離してゆく。

まだ、俺は何もしてない…償ってない……消えたくない…っ!

「うわぁぁぁぁぁぁっ!」

 

夢の中の自分の叫び声とともに、ルークはベッドの上で跳ね上がった。

「ゆ、夢?」

あらく息切れを繰り返す。まだ、形のある手で髪をかき上げた。

真夜中だった。あたりは真っ暗で、ぼんやりとすぐそばで寝息を立てるミュウと、隣のベッドで寝ているガイの姿が見える。

リアリティがある夢だった。また、息を吐く。

「情けねえ……」

頭の中を掻き毟るような悪寒がした。もう一度、深呼吸。

あんな夢、忘れよう。

ルークは勢いよく布団にもぐりこんだ。

 

剣を鞘におさめると、あたりが随分暗くなっていることに気づいた。

あたりに魔物の死骸が散らばり、だんだんと音素が音譜帯に帰っていく。

ガイが振り向く。

「ずいぶん時間がかかったな」

「そうですわね。群れのようでしたから……」

「アニスちゃんもうくたくた〜」

たわいもない会話を交わしている中で、異変に気がついたのは、一番前にいたティアだった。

不審な影が、飛び込む。

「伏せて!」

叫びとともに、一番後ろにいたルーク以外がかがむ。その上を、影が飛んだ。

ルークは間に合わず、とっさに剣を抜き、目の前に降り立った影を受け止めた。

影の正体は黒い獣型のの魔物だった。俊敏な動きを見せ、ルークにかじりつく。

ルークは剣を振りぬき、それから、数歩下がった。

「ネガティブゲイト!」

「タービュランス!」

速い動きとは裏腹に、それほど体力はなく、魔物は二つの譜術を受け甲高い悲鳴をあげ、倒れた。

魔物を構成する音素が乖離し、消え去っていく。


──乖離?

 

「先ほどの群れの魔物と同じ種族でしたわね」

「群れと逸れちゃってたんだろうね〜」

「六分のロスよ。行きましょう」

ティアが話しながら歩き出す。それに乗じて、みな歩き出した。

ルークは魔物がいたはずのその場所を、ただ突っ立って見ていた。

立ち止まっていたアニスが顔を窺ってきた。

「もう暗くなっちゃったんだから、早くしようよ」

「あ、ああ………」

あれ? このやり取り、どこかで聞いた覚えがある……。

確か、この先はどうなるんだっけ。

考えながら握ったままの剣を鞘におさめた、その時。


腕が、一瞬、透けた。


「────……!」


夢の中の恐怖が戻ってくる。

気づけば思わず膝を折っていた。

目の前を歩きだしていたガイと、振り返りかけていたティアが同時に彼の名を呼ぶ。

ルークは叫びそうになり、しかし、唇をかみしめて耐えた。


ここにはみんながいる。

だめだ、ここで叫べば、きっと理由を聞かれるだろう。

俺は嘘をつくのが上手くないから、すぐばれる。

だめだ、大丈夫だ、まだ、乖離しない。

 

ルークは透けていた腕をぎゅっと力強く握った。

まだこの腕はここにある。


「な、なんでもねぇよ。行こうぜ」

なんでもないわけがないことは明白だったが、ルークは嘘をつきとおそうとした。

誰も理由を聞かないでくれ、と心の中で唱える。

ジェイドはメガネを押し上げ、溜息を吐く。

「腰を抜かしたんですか? やれやれ、情けないですねぇ」

「…わ、悪かったな!」

腰を抜かしたと思われていないことは分かっていたが、フォローしてくれていることもわかったのでのっておく。

ガイは少し怪訝な顔になり、ジェイドをちらりと見た。ジェイドはいつもと変わらぬ表情でガイを一瞥する。

「どうかしましたか? ガイ」

「いや、なんでもない……」

「大佐ー、疲れちゃいましたよぅ」

アニスがトクナガを握りしめてぼやく。ナタリアは小首をかしげた。

「そうですわね。街までまだ距離があるでしょうし……こちらで休みませんか?」

「歩き通しだったしな」

ルークもナタリアの案に乗っておく。ジェイドはそうですね、と呟き、足をとめた。

 


音素の乖離……。

口の中でルークは呟いていた。

夕飯用のハーブを取るとの口実で仲間の目に触れない近くの林にもぐりこんだルークは

一人考え込んでいたのだ。

俺もあんな風に消えるんだろうか。

とてもあの魔物が心地よいようには思えなかった。悲鳴をあげていた。

俺も、あんな風に苦しんで、消えるのだろうか。

ぞくっとした。

あの夢を見た後の悪寒と同じだった。

今は腕が透けるだけで済んだ。でも多分、だんだん腕だけじゃなくて肩が、首が、体が、透けてゆくのだろう。

最後はあの魔物のように。

先ほど聞いた悲鳴が耳の中で響く。

「………くそっ」

「怯えているの?」

思わぬ声が聞こえて、ルークは振り向き後ずさった。

ティアだった。

ティアは一瞬悲しげに微笑んで、そして歩み寄ってきた。

「さっきのも……そうなんでしょう?」

「情けないな、俺……本当に」

「……消えないわよ」

ティアが言う。

「見ているって、言ったでしょう?」

「で、でも」

そう何か言おうとして、ルークは言葉を選び損ね黙った。

ティアの顔を見て、そして、また口を開く。

「怯えてるばっかりで……俺、何もできないんだ。だから…」

「私も同じよ」

ワタシモオナジヨ。

音だけが耳を素通りし、何を言っているか一瞬わからなかった。

脳内漢字変換を終えると、ルークは顔をしかめた。

「同じって……何もできないってことが、か?」

ティアがうなずくと、ルークは激しくかぶりを振った。

「そんなことない! 絶対ない! だってティアは、俺のこと支えてくれてるだろ!」

「ルーク……」

「支えてくれてる……うん、支えてくれてるのにな。ホント、情けねぇ……」

俺、無力だな。

そう呟き、ルークは苦笑いした。

心が笑っているわけではないのに、そんな風に笑わないで。

「……情けないと思ってるなら」

「え?」

ティアがルークに顔を近付ける。無表情が故に、迫力があった。

しかし、声は、恐ろしいほどにやさしい。

「怯えないで。大丈夫よ、あなたはここにいるじゃない? 消えない。ええ、消えないわ。……恐れないでいいから」

最後まで言う前に、ルークの顔は真っ赤に染まり、その顔を見られたくなくて、顔を勢いよくそむけた。

そして、言葉を唱える。


恐れない。


「うん、ありがとう……ティア。うん、たぶんだけど、俺、大丈夫だから。本当、ありがとな」

ティアは無言でほほ笑んだ。踵を返そうとしたルークを、少し遅れて呼び止める。差し出したのは、一握りのハーブだった。

「ハーブを取りに来たんでしょう?」

「あ、そうだった。サンキュ」

ハーブを受け取り、ルークは走り出す。

 


ルークの背中を見届け、ティアは小さくため息をついた。

木に頭を持たれかける。

 

私は、ルークを見ている。


「見ている、だけなのね…」


支えているなんて大嘘。

私は、事実を知っているただ少ない一人なのに、何もできない。

何もしてあげられない。

涙がこぼれそうになって、ティアは必死にこらえた。

泣いてはならない。泣いてはならない。

本当に苦しいのはわたしじゃない。


何度言い聞かせても、涙は言うことをきかなかった。

勝手にこぼれおちる。勝手に頬を転がる。勝手に林の土にしみわたる。

三滴の涙だった。

涙のように、自らも体が木からずり落ちた。


「………ごめん、なさい………」


誰にいうでもなく、謝っていた。

でもきっとそれは、

なにもできなくてごめんなさい。

あなたを引き留められなくてごめんなさい。

見ていられなくなったらごめんなさい。


あなたと、みんなと一緒にいられる時間が、

短くなってゆく。


「無力なのは、私だわ……」


仲間が遠くで呼ぶ。

ティアは、涙をぬぐう。何度か瞬きを繰り返した。

首も軽く左右に振った。林を抜けるため歩きだす。

ルークに渡したものと同じ種類のハーブが、涙が落ちた傍らで花を咲かせていた。

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