Shall we dance ?
肩のさらけ出た純白のドレスを差し出され、ティアはとっさに
「遠慮します」
と答えてしまった。
その反応を見たシュザンヌは、
「お気に召さなかったかしら」
と悲しそうに眉を下げた。ドレスを持っていたメイドまで肩を落とす。
ティアは慌てて否定した。
確かに、ドレス自体はすごく可愛いと思う。細身ながら随所にフリルがあしらわれ、セットになっている淡い桃のコサージュも、高級感が漂う。
しかし、白いドレスというと、どうしてもウェディングドレスを連想し、躊躇われるものがあるし、それに、自分が来て到底似合うとは思えない。
全部口に出すわけにはいかず、恐る恐る、「私にはもったいないですから」と言ってみたところ
シュザンヌにはあっさりこういわれ、メイドには即席で造られた衣装室に引っ張り込まれた。
「そんなことありません。ティアさんにはよく似合うわよ。きっとあの子も喜ぶわ。なんたって、あの子の為のパーティなんですから」
バチカルでやるとばかり思われていた、ルークの子爵のお披露目パーティは、確かにバチカルで行われたが、バチカルの陸ではなく海の上、つまり豪華客船を貸し切っての催しとなった。
立食式で、やることなすことがみないちいち規模が大きい。
ルークと旅で一緒にいた一行も当然のように招かれ、アニスはこれ幸いとあらゆる男性の品定めをしながら、豪華な料理に舌鼓を打っていた。
と、ホールの後ろ側で、ポツンとガイが立っているのを見て、悪戯心が沸き、ゆっくりとガイに歩み寄っていく。
ガイは完全に気を抜いていた。後ろからの奇襲、もとい少女の腕から逃れられなかったのである。
さすがにもう叫ぶことはなくなったが、体中の筋肉をこわばらせて立っている。
アニスもそれを肌で感じ、ガイから離れる──というより、降りると、ガイを見上げた。
「もうなれたんじゃないの?」
「いきなりだと、ちょっとな」
ガイが苦笑いをする。
「ぶーぶー、こんな美少女なのに」
アニスは肩をすくめ、辺りを見回した。着飾った女性たち。ガイに近づいてくる様子はない。
「…………おかしいよ。女性恐怖症の事、知ってても知らなくても、女の人は、ガイのこと放っておかないと思うけど」
「ああ、それはな」
ガイはホール中央へ顎を揺らした。豪華なドレスを着た女性が何かを囲んでいる。それが何か、はわからないが、白いタキシードの裾がちらりと見えた。
「………ほら、顔はあっちの方がいいから。主役もあいつだしな」
「っていうよりー、子爵様で公爵家の息子でランバルディア至宝勲章でしょ? アニスちゃんも唾付けておいた方がいいかなぁ」
しもしないことを言ってみせ、アニスはスキップしてどこかへ歩いて行った。ガイははにかんで、踵を返していく。
パーティもいよいよ、乱れ華やかになり、パフォーマンスイベントを10分前に控えたところで、ティアは耐えられないとばかりにホールを後にした。
甲板には誰もおらず、ティアは不審に思った。
空には星の姿はなく、代わりに望月が煌々と客船を照らしている。
客船自体も光を放ち、その交差する模様はパーティのどんな華やかな飾りよりもきれいなように見えた。
そういうロマンティストがおらずとも、単純に酔いを醒ましに三人や四人、居そうなものだがと当たりを見回して、誰もいない理由が分かった。
冷たすぎる夜風が、首や肩周りを撫でていった。
それでも、ティアはホールに戻ることはせず、むしろ一人になれることが好都合とばかりに、甲板の先端、片隅に座り込んだ。
ドレス自体は細身だったが、普段は動きやすい教団服を着ているだけに長時間立っていることが、体力的には問題なくとも、精神的に苦痛だった。
シュザンヌの好意で招かれたのだから、抜け出すなんてこと、あってはならないのだが。
──シュザンヌがティアらを呼んだのは、きっと、社交パーティになれない主役の為という部分が少なからずあったのだろうが、それでも、その主役は立派に年上の女性たちに囲まれていた。
だから、別に自分はここにいていいのだと、言い訳をしてみる。
そう考えてみて、ティアは一人でため息をついた。
これでは、まるで私がしているのは言い訳ではなく──
「嫉妬?」
「なにが?」
いきなりかけられた声に、ティアははっと上を向いた。
そこに立ってこちらを覗き込んでいた彼の顔は、月の逆光を浴びたせいではっきりとは窺えなかったが、ちらりと見えた髪色と輪郭ですぐにわかった。
「ルーク?」
ルークは顔をほころばせた、のだと思う。それさえも、逆光のせいで見えなかった。
「ルーク、こんなところにいていいの?」
素朴な疑問を口にすると、ルークは頭をひっかいて照れ笑いした。
「あー……ティアが来てるって聞いて、これからダンスだっていうからさ、その……」
「え?」
ティアが口の中でつぶやくと、ルークはすごい勢いでそっぽを向き、急に大声を出した。
「その、たりぃからさ! 抜け出してきた」
「そう………」
ティアは身を縮めるようにしてひざを抱えた。
その様子を見て、今度はルークが質問した。
「お前もこんなところにいて、寒くねぇのか?」
「……これぐらいの寒さがちょうどいいの。ホールは暖かすぎるから」
「ふーん。単純に寒いだけだと思うけどな」
ルークはあたりを見回し、自分が背にしている月に気が付くと、ティアの隣に月を見るように座った。
ティアは思わずルークをまじまじと見つめた。ルークがばつの悪そうな顔で舌打ちした。
「なんだよ」
以前として、驚いた顔のまま、茫然と言う。
「──あなたが、そんなロマンチストだなんて知らなかったわ」
「別に、月が見たかったわけじゃないよ。ただ──」
言葉を切り、躊躇うように俯いた。
その仕草が随分幼く見えて、ティアは笑ってしまいそうになったが、すねるのが目に見えているのでこらえた。
それから、首をかしげる。
「ただ?」
「──あの時も、こんな月だったな、って思っただけだよ」
海風がふわりとティアの髪を舞い上げた。
その時に見えた彼女の表情は呆れとも憤慨ともつかないようなものだった。ただ、その感情を示している割には、不快そうではない。
「……本当に、長かったわ」
「ごめん」
「ずっと、待ってたのよ」
「悪かったって!」
ルークは矢継ぎ早に言葉を連ねた。
「約束、早く果たしたかったけど、俺だってどうすればいいかわからなかったんだよ。それに、俺にとっても長かったよ、2年間は。早く戻りたかったし、会いたくて」
ふっと息を吐くと、自分の言っていることがひどく照れくさいものだということに気がついて、慌てて誤魔化そうと言葉を探して視覚的に見つかるはずもないのに視線を動かした。
「あ、その、別にお前だけに会いたかったってわけじゃ──」
ティアの反応を見る前に、ルークはホールで突然大音量でなりだした音楽に振り返った。
ダンスが始まったらしい。
「……ダンスの時間みたいよ。主役なんでしょ?」
ティアは静かに言って、背中を叩きルークをホールへ戻るよう促した。
ルークはされるがままに立って一瞬逡巡したような動きを見せたが、ティアに向き直って彼女を見つめた。
ティアからは逆光で顔が見えなかったが──見えないはずなのに、胸の奥に痺れのようなものを感じて、問い返すこともせずじっとしていた。
数分間、のように感じたが実際は十秒もしていない。ルークが手を差し出す。
「──一緒に踊りませんか?」
この位置関係は不公平だと思う。彼の顔色を知ることはできないのに、こちらの頬が紅潮しているのは丸わかりなのだから。
首をすくめて、つぶやいた。
「………はい」