私の瞳に映るは
旅の終わりとその後。
あれから、シェリアはウィンドル、ストラタ、フェンデルの全国を回っている。
治癒術師は非常に重宝され、シェリアは大忙しだった。
世界を回って人々をいやしていくその救済活動をずっと続けていた。
先ほどストラタでレイモンに会う機会があり──正確には向こうから一方的にコンタクトをとってきただけだが──再プロポーズされた。
無論きっぱりと断り、レイモンは歯が浮くようなセリフの連鎖の後、一言残して立ち去った。
聞かなかったことにした。
その言葉は全身を掻きむしる騒音のように聞こえたから。
それは、後ろめたい言葉があるからだと、シェリアは自分で薄々気づいていたが、頭の中で取り消した。
数か月ぶりにウィンドルへ帰国することになったのは、その一週間後だった。
それは各地で頻発していた魔物騒ぎも繭から出てきた魔物の生き残りが減ることで落ち着いてきており、
この際一度比較的平和なウィンドルに腰を据えてシェリアも落ち着けとのストラタ大統領閣下からの命だった。
ストラタに行く前にフェンデルに長期滞在していたシェリアは
ウィンドルがいかに平和ということはよくわかっていて、
治療する自分も疲労がたまっていて、一度休まないと満足に術が使えなくなるのではないかと思っていたため、ちょうど良かったとは思った。
久しぶりに家族の顔も見たかった。
連絡船から船に乗り、バロニアについたところで亀車に乗りラントを目指す。
ふと顔をあげると、繭の魔物が群れをなして上空を舞い、亀車と同じ方向へ、しかし亀車より確実に速く飛んでいくのが見えた。
ラントが狙われているかもしれないという予想は容易に付いた。
「い、急いでください!」
「十分速いッスよー……」
不満げにかめにんは口を尖らせ、亀の足を速める。
シェリアが魔術をふるう。
ラント前ではバリーたちが懸命に戦っている。優勢であるらしく、もう一息というところでシェリアの思わぬ雷撃により圧されていく。
魔物があらかたかたづいても、シェリアの仕事はまだ残っている。
力を使って、人々を回復させてゆく。
「シェリア様、助かりました!」
「いいえ、収まって良かったです」
ラントの兵士たちに敬礼され、シェリアは微笑を浮かべた。
結局、シェリアの治療のおかげで、死者は出なかった。治療ももう直終わる。
「シェリア……ありがとう」
そう言ってきたのは、倒れた兵士たちをさきほどまで町の中に運んできたバリーだった。
シェリアはどういたしましてと言って笑う。
「やはり……シェリアには、リーダーに…いや、そうでなくてもラントにいてもらった方が……」
そう言葉を濁してバリーはシェリアをうかがうように顔を見た。シェリアは苦笑いでいる。
シェリアが何か言う前に、彼は自分で取り消した。ばつが悪そうだった。
「いや、世界を回るんだってな。いや、聞かなかったことにしてくれ」
何も言えないでいると、話題を変えるかのようにバリーが言う。
「今夜はラントにいるのか?」
シェリアは頷いた。バリーはゆっくりして行けと言わんばかりに肩を軽くたたき、シェリアの横を抜けていった。
シェリアの足は自然に自宅に出向いていた。
唯一の肉親であるフレデリックは領主邸にいることは明らかだが、どうしても体がその方向へ向かわない。
辺りはいつの間にか真っ暗で、雲がまばらに散らばり、星もその間から見えて輝いていた。
ふと、シェリアの顔が露骨に歪む。
ストラタでレイモンに言われた言葉を思い出したのだ。
“まだ君の眼にはあの男しか映っていないのかい?”
アスベルの話なんてしないでよ。
そう言うことさえせずに、シェリアはこの言葉から逃げたのだ。
何か振りきるように勢いよく家を出た。時間をもてあましているので、星を見るという名目を無理やりつけて外を歩く。
星を見るというのに、目線は、下を向く。
ふいに立ち止まる。
そう、ちょうどここ。
レイモンとバリーに誘われた場所。
それだけじゃない。
「悲しい記憶は……未来への記憶で埋めてやればいいって」
横顔が思い出される。
「でも、俺一人では到底無理な話だ。だから──」
あの後、何を言おうとしたんだろう。
考えたくなかったし、予想もつけたくない。
もう聞くこともできない。
救護使節となって世界を巡る。
これはあの夜の前からずっと決めていたことだった。
たくさん、私の力を使って人を癒せる。
それは、実際各地を回ると間違いでないことがよくわかった。
だから、私の選んだ答えも決して間違っちゃいなかった。
シェリアは心の中で呟いた。それから口に出す。
「これで、良かったんだわ」
私がみるべきなのは、苦しんで傷ついている人々なのだから。
「明日になれば……」
ラントに滞在する気はない。
また、バロニアを中心に活動しようと考えている。朝になったらフレデリックに顔を見せて──…。
いつになったら会えるの。
いつになれば伝えられるの。
誰かに囁かれた気がした。
気づけば、シェリアは領主邸前に立っていた。
ポケットには、いつ入れたのか領主邸の鍵。
もしもの時の為に、フレデリックに持たされていたものだった。
「おじいちゃんはこんなことして欲しいとは思ってないだろうけどね」
具体的に何をしたいとも思い浮かべないまま、シェリアは領主邸のドアを開けていた。
重々しい音が鳴り響くが、そのほかは静かだった。当然である、夜だから。
ふと目をやると、執務室は薄く光がともっていた。
「まさか……」
ひっそりと、歩み寄ってノックする。返事はない。
開けてしまった。
誰もいない。
シェリアは大きくため息をついた。
何をしてるのかしら。何がしたいのかしら。
でも、だって、あれからずっとあってないじゃない。
少し顔を出してもいいでしょ?
誰かに許しを請う。
自分から突っぱねておきながら。
でも好きだから。
でも会いたいから。
私は──!
「シェリア?」
驚きと安堵が入り混じった声が聞こえた。
振りかえると彼がたっていた。
今おじいちゃんに会いに行こうと思って。
急用があったから、つい。
すぐ明日出るから夜のうちにでも。
一瞬なぜここにいるか言い訳のようなものが浮かんだけれど
すぐにそんなものは消えてしまって
アスベルがおかえり、とほほ笑むとシェリアは安心したのかなんなのか、
崩れ落ちるように座り込み、一気に泣き出してしまった。
私が見つめていたいのはあなたなのに
私は救護使節としての眼しか持つのは許されなくて
あなたから目をそむけて傷ついた人々だけを見ていました。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
シェリアが泣きじゃくる理由が分からなくて、アスベルはおろおろとするだけだが
そんなのは気にならなかった。
ねえ、今だけは────
泣かせてよ。