First 目の前の馬鹿げた幸せ

SIDE-L

「迷子にならずに帰れよ」

「あたし、そこまで子供じゃないし!」

「大人は姫神様をけなしたりしない」

「そーですか! はいさようなら!」

夕方、リーンは振り返らずに大股で歩いていく。頬はハリセンボンのごとく膨らんでいる。

「何が姫神様よ。ふざけんじゃないわ。あんなもん、教団が勝手に空想の神様作って信者を洗脳してるに決まってる! 信者の人生なんだとおもってんのよ!」

これは、リーンが物心ついた時から一貫して主張してきた内容である。
しかし、誰もこれを信じない。

リーンの父親の副教団長、ジーンはこの主張を耳にタコができるまで聞かされ、そのたびにうんざりしている。

無論、そのことをリーンも知っている。

──でも、まあ、副教団長なんていう地位にいるんだから、姫神を蔑ろにするような言葉、素直に受け止める方がおかしいんだけど。

禁固が終わったら教団に顔を出すよう言われている。リーンは教団に向かって歩き出した。

何時もならジーンかジーンの部下がリーンを迎えに来るのだが、来月はこの国、いや世界を上げての姫神生誕祭のため、準備に追われているらしい。
詳しいことは知らないのだが。

この国は元々は無人の小さな大陸、いや島だったがさまざまな国の人々が移民してきて、新たな国を作った。

神話によると姫神が降り立ったのもこの国らしい。

だからここは教団の本拠地があり、リーンもこの国に住んでいる。


地面を跳ねる金具の音がして、リーンは立ち止まった。
足元を見ると、小銭が一枚転がってきている。
 

転がり出てきた先を見ると、いつも小さな門で封じられている道があった。奥は林なようで、木の影が見える。他はそっちの方向だけ真夜中みたいに暗くわからない。

今日に限って、門が開いていた。

「何があるのか、知らないのよね〜……」

好奇心がうずうずとわき出す。

その好奇心に突き動かされて、リーンは一歩足を踏み出した。

もう一歩。もう一歩。

スピードは速まり、徒歩にまでなる。

それにしても暗い。恐らくこの奥に何かあるのだろうが、分からない。

林を少し進むと、奥に煌々と街の光が見えた。夕焼けににじんでいる。

やけに派手な、ピンクの光や青い光も見えた。

衝撃。

見えなくなった。

尻もちをついたリーンは何が起きたのかと上を見上げ、そこには目がくぼんだ白髪のさえない中年男性が立っていた。

「おう、お前」

ぶつかったその男性に低い口調で問いかけられる。返事をする間合いを逃したリーンを自分のことだと分かっていないのだと勘違いしたのか、男性は

「茶髪ツインテールの姉ちゃん、お前だよ。他に誰がいんだ。いや、ガキか?」

茶髪じゃなくて朽ち葉色だと言い返したかったが、そんなことより聞きたいことがある。

「ねえ、おっさん。あんた、あっちの街から来たんでしょ?」

「そうだよ。お前こそあっちの街に行くんだろ? なんだ? ウリコか?」

「ウリコ?」

男性はリーンの表情を見るなり、リーンを文字通りつまみあげた。

「わっ」

「ガキが行く場所じゃない。帰れ。ウリコだとしても、それなりの覚悟がねえとあっちに行けないと思うぞ」

「ウリコって?」

男性はリーンを連れて、門の外へ放り投げると、そのまま門を閉めた。

小さな門のために乗り越えるのは簡単なのだが、リーンはそのまま男性を見送ることにした。

あまり夜になると、父親の機嫌が怖い。父親に生かしてもらっているのだ。どんなにその思考が受け入れられないにせよ。

 

「姫神様を冒涜するようなことがあったそうだな」

副教団長執務室での説教とは実に贅沢だが、言われることは何処の家庭とも同じ。

──リーンの場合だけは、少し特殊だが。

「姫神なんて嘘。姫神なんていないし」

「確かに目の前に現れることはないのかもしれない。しかし確かに存在する。リーン、お前の主張は狂っているぞ。神の世界にいる神を何故居ないなどという?」

「いないもんはいないの! お布施って言って信者から金まきあげて堂々と街歩いて、おかしいんじゃないの?」

「おかしいなんてことはない。お布施は神にささげるための供え物を買う大事な資金だ。教団を運営するためにもな。姫神様の姿はなくとも、恩恵として幸福が授けられる。予言と蘇生もしかりだ。そのことをどうして認めない? 何故我らの神を信仰してはいけないのだ?」

リーンは言葉に詰まった。

ジーンはおかしいことは言っていないのだ。世間的には。

普段見えない神を信じて幸福を願う。

信仰するということは基本そういうことで、信者だけが幸せになれると銘打ったとしても、今、この世界には、それで傷つく人間などいないはずなのだ。

今、この世界には。

「今まで別の神様信仰してた人を滅ぼしたのはどこのどんな教団よ! 何が幸福なわけ? 別の神様信仰するのを何で認めないの?」

「滅ぼしてなどいない。他の神を信仰していた者どもが姫神様の恩恵に気付いただけだ」

あーもう! と例によって癇癪を起したリーンは、机に手のひらを叩きつけた。

「信じらんない! 相変わらず父さんは頭かったいのね!」

「お前の妄想癖にもほとほと愛想が尽きた」

「こっちもよ!」

リーンは執務室を飛び出した。

残されたジーンは頬杖をついてため息を吐く。

──今の教団のやり方は──もう洗脳に近くなっているからな──末端の信者はただ純粋に信じているだけだろうが──この宗教が普通の宗教だったら──だったとしたら──姫神教の繁栄として喜ばしいのだろうが──教団長の考えは分からない──魔女狩りでもする気なのか──おそらく──……

全部、リーンの欲しかった情報で、リーンの欲しかった話だった。

しかし、ジーンはそれを全部胸の内に収めてしまっていた。

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