SIDE-I
斎はバツの悪い思いをしていた。
「そんなに来るのが可笑しかった?」
「いえ……でも、来て下さると思わなかったので」
他にももごもごと口走るが、斎の耳には聞こえなかった。
また来てくれ、と言われたからソアの勤める教会の前にいた、とそれだけの話なのだが、ソアからすれば本当に来てくれるとは思っていなかったらしい。
「来ない方が良かったか?」
思わず皮肉めいた声が出た。
ソアはそんなことはありません、と小声で否定した。
「お気に障ることを言ったかな、と思ったんです……」
「いつ?」
ソアは依然として躊躇していたが、斎が本気で訝しがっているのが分かると、やはり小声で
「信仰するということは神に全てを委ねることではない──って話です。あくまで私の考えなんですけど……」
「え? 俺、その考えに否定的なこと、言ったか?」
「そうかなぁ、とおっしゃいました」
その言葉が「お気に障」った人の言葉ではないのではないか、と斎は思ったが、話がこじれるので何も言わなかった。
ソアは斎を見つめて、微笑んだ。
「来てくださって心から嬉しいですよ」
「暇だから、俺」
「一人暮らしなんですか?」
ずくっと、胸の傷が疼くような思いがした。
頭痛がする。
おかしいな、と常に思っていた。
何故か、親に会いに行くだとか、親元に戻るだとか、そういう話になると耳鳴りや頭痛がする。
親が嫌いだからだろうか。いや、明確に嫌いだと感じたことはない。
修導士になるのも、就職する手間が省けていいなと思っていた。
──じゃあ、なんで俺、家出してるんだろう?
故郷に帰ればいいのに。
考えている間ひとしきり頭痛が続いて、耐えられなくなり思考を途切れさせると同時に頭痛も途切れた。
ソアが心配そうに斎を見ていた。
ソアの後ろには、ソアそっくりの姫神像。その後ろには、教会。
斎は何気なしに、ソアの表情と姫神像の表情が似てるな、と思った。
姫神像は威厳たっぷりに立って、上を見上げているが、少しだけ顔に陰りや憂いがあるように見えた。
今のソアは威厳たっぷりというにはか弱くて頼りないが、悲しげなそれだけは、重なって見える。
大体全体的に姫神像とソアは似ているのだ。何故だろう。
「──ソアとこれ、似てるよな」
ソアの表情にも問いかけにも答えずに、そんなことをつぶやいた。
ソアは納得しているように小さくうなずいた。
「よく言われます。姫神様を象った像に似てるだなんて、とても光栄です。姫神様の方がうんと美しいと思いますが」
「そんなことないけど。あんたも美人だ」
さらっと言ってしまったが、言った途端斎は胸のあたりがかあっと熱くなった。
でも、本心だったのだ。ピカピカと光る銀の像より、金髪の、色彩を持ったソアの方が明るく美人に見えた。
ふっと前を見ると、ソアは顔を赤らめていた。恥ずかしさでか俯き加減だが、瞳が文字通り輝いている。
「本当ですか?」
嘘は言ってない、と返事をすると、ソアは何か言おうとしたのか、その品のある口元を開きかけてから閉じ、それから我に返ったかのように目を見開き一瞬だけ、唇をかみしめる。
彼女はちょっとぎこちない笑顔になって、ありがとうございます、と言った。
「それは、あんまり言われないですね」
「信者とばっかり話してるからだよな」
「かもしれませんね──斎さんは結局信者ではなかったんですか?」
余計なことを言ったか、と斎は口をつぐむ。
でも、信じていないわけではない。が、他の信者のように熱心でないだけだと思っている。
しかし、今の口ぶりでは信者という言葉が他人事のようだ。
先ほど思ったことを斎は言い訳のように言うと、ソアは笑った。
「ちょっと、祈祷に参加してみませんか? ちょっと見方が変わるかもしれませんよ?」
「ありかもな。今日あるのか?」
「今日は祈祷の集いはありませんが、自由に集って祈る分にはだれも咎めはしません。姫司祭(ひめしさい)様のもとで祈れば予言が授けられるかもしれませんよ」
──予言?
それが顔に出ていたのだろう、可笑しそうにソアは言う。
「ご存じでしょう? 幸福だけでなく、時に姫神様は私たちに二つの超人的な恩恵を授けて下さることがあります。それは蘇生と予言って」
確かに、聞き覚えがある。
ソアは続けた。
「それを姫司祭様たちが受取って、教えてくださるんです。信仰の深い方だけに、しかも稀に、ですが」
「へえ」
それは興味深かった。
今、自分探し──というとこそばゆいが、修導士になるわけでもなく、別の職に就くでもなく、親のところにも戻らず、自分がどうしたいかも、よくわかっていないのだ。
だから、将来このままだとどうなっていくのか、知るのもまたいいだろう。
「興味がわきましたか?」
斎は少し考えていたが、しばらくして承諾すると、ソアは斎を連れて教会の中に入った。
教会前に人はいなくなっていた。
薄暗い教会の中には、薄紅色の絨毯が敷かれていた。この色に銀の取り合わせが、姫神のイメージカラーになっている。
ベンチが両端に立て並んでいる。奥には、半透明の土台があった。月当たりに大きなすりガラスの窓。
静かだ。
教会の中は、珍しく信者が一人もいなかった。
初めて入るこの教会の中をしげしげと見つめている斎をよそに、ソアは半透明の土台の前に立ちぽん、と音を立てて手を叩く。
金色の長髪が柔らかに揺れる。
「もうすぐ、姫神様の生誕祭がおこなわれるので、本部に行ってるんですね。今日は祈祷の日ではありませんし」
一人合点し、斎を振り返った。
どうします? と目で訴えている。
どうするもこうするも、また祈祷のある日に来るしかないだろう。
そう思ったが、ついてきてくれた彼女に邪険に言うのもどうかと思い、かといって優しい言い方がどうにも見当たらず、口には出さなかった。
沈黙が数秒続いた後、ソアは斎に一歩歩み寄り、
「どうしますか?」
と今度は声に出した。
「次の祈祷はいつなんだ?」
「今日──木曜と、土曜の他の曜日はやっています。この二つの曜日は信者が祈りをやめて姫神様のくれた幸福に浸る時って意味で、休みなんですよ」
と言ってから、悪戯が成功したように彼女は笑って
「信者の方が祈祷の日を知らないって、おかしすぎますよ」
だな、と思った。信者でないつもりはない、とまた否定しようかと思ったが、もしかして自分は姫神など一切信じていないのではないかと思い始めた。
信じてはいないが、ほかに何か宗教をもっていたわけではない。いわゆる傍観者に近い考えなのかもしれない。
ソアも斎がそうであることを悟ったらしい。
「祈祷をしていけば、あなたも姫神様の素晴らしさに気付きますよ」
彼女がそう言うのは本心かららしい。
「じゃあ、明日くれば祈祷やってるってわけか」
「ですね。姫神様生誕祭がもうすぐですし、ほかの方も感謝の祈りに力が入っていますから、今日行われなかった分、明日は確実にやりますね」
じゃあ、明日だな、と呟いて斎は教会を出ようとした。ソアが呼びとめる。足が止まる。
「斎さん、できれば──できればですけど、祈祷のない日も……また来てくれませんか」
元は話し相手になってくれと言われてここに来始めたのだから、明後日も無論来るつもりではあったが、わざと斎は「そうする」と今決めたように言った。
それから、付け足すみたいで不本意ではあったが、振り向きざまに
「ありがとう」
と言った。ソアは微笑むだけだった。
姫神教の勧誘をしたいのだろうと予想は立ったが、それでも美しい女性に正面切って来てほしいと言われたことは率直にうれしかった。