SIDE-L
開かれていた扉に初老の姫司祭が礼をして入る。
ピエロもリーンをひきつれて入った。
やはり薄紅色の床に、銀色のテーブル、向い合せに並んだソファが机の手前にお決まりのようにある。
右側のソファに教団長。頭髪の薄い頭がここからでも見てとれた。シルバーグレーのローブを着ていた。その傍らに副教団長。左手には少女が座っていた。にこにこと笑っている。余裕の見える笑みだ。高価そうな薄紅色の細身のドレスを着て、銀色の髪留めをつけている。色は黒だったが、セミロングの髪型はリーンそっくりだった。
その色は、教団で姫神を示す、最も神聖な取り合わせ。
歳はせいぜいリーンの二つか三つ年上といったところだろう。よほど重大なお客様らしい。
教団本部で育ったリーンにも見覚えのない顔だった。
となると、もしかして教団長の娘なのだろうか。教団長は既婚者らしいが、妻も子供も見たことがない。
そんなところを考えていると、その少女が口を開いた。品が良く冷たい、淑やかな声。
「──どちら様?」
その視線はリーンに向けられていた。
「私は……私は、リーン。ジーン副教団長の娘です」
かろうじてつけた敬語に満足そうにクスッと笑うと、少女は立ちあがった。
今度はジーンを見た。体をびくっと揺らす。
「副教団長、彼女が娘さん?」
「は、はい」
やっぱり重鎮なのだ。副教団長の地位にあるジーンがここまで緊張しているなんて。
しかも、ここまで年の離れた若い女に。
他の国の王族かもしれないな、と思った。王女様に似た品格だ。
王女様ではないが、そんな感じがした。
名乗らなかったその少女に、名前を聞いてみた。
「あなたは、なんていう名前なんですか?」
「名前はとっくに捨てたの」
捨てた? 名前を?
教団長を彼女は見やり、小さくおじぎをした。
「お話はまた今度。さようなら」
教団長とジーンは、腰を折るようにして礼をした。
三つ指をつきかねない勢いだ。
何者なのだろう。ただものではないのはよく分かった。
王女様に似た匂い──違うのだろうけど、リーンの中では王女様と思うことにする。
「……姫司祭。ちょっと席をはずしてもらっていーい?」
ピエロが思いついたように言う。姫司祭は変な顔をしていたが、教団長が眉間にしわを寄せて頷くと、失礼しますと律義にあいさつをして去っていった。リーンは後ろ手にドアを閉め、王女様が座っていた場所に偉そうにピエロはどっかり座る。教団長も先ほどと同じように座り、ジーンも教団長の隣に座った。ジーンに促されてリーンも座る。
「何だね、君は。リーン嬢がまた何かやらかしたのか。大体、挨拶もなしに入ってくるとは何なんだ。大事な話をしていたというのに──」
「さっきみたいな若い子ふたりと何の話をしてたのやら」
へらりとピエロが笑う。
「あの子の正体──俺知ってるのよ?」
教団長は少しも揺らがなかった。馬鹿にしたような笑みが浮かんでいる。
「まさか」
リーンはありうると思った。ピエロは自称腕利きの情報屋なのだ。リーンに絡んだ「豆屋」の暴漢たちを情報で退けていた。
知っているとするなら、今は聞いても答えないだろうと思い、リーンは黙っていた。
「そんな話をしに来たわけじゃないんだけどね。この子、裏の方に来たから、俺は保護者として連れ戻しに来たんだ」
ジーンの表情が露骨に歪む。リーンは依然として黙ったままだ。
「本当か? リーン嬢」
「ごめんなさい。運よく門があいてて、どんな街があるのか気になって、それで」
臨時で嘘をでっちあげる。
ピエロは凄味のあるその顔でジーンではなく教団長に迫った。
「それで、まあこんな可憐なお嬢さんが狙われないわけはないと。迫ってきた男たちの魔の手から守ったのよ、俺」
証拠にほら、とリーンのふさがりかけの頬の傷を指差す。
「俺ぇ、裏の人間だから裏に顔が利くの。しかもこのお嬢さん、まこと気丈だから、絡んできた他の男を蹴ったりしてんの。意味、分かる?」
ジーンが立ちあがった。
「貴様、教団長を脅しているのか?」
「その言葉で脅し返そうったって無駄無駄。俺、個人経営だから。文字通り、人間会社というか、一人でやってるし、店や活動実態なんてもんはないの。圧力なんてそっちのけだし。いい? 俺有能なの。俺の能力を買うやつなんていくらでもいるんだから」
ジーンの対応を待ってましたとばかりにピエロはまくしたてた。
ジーンが一瞬詰まる。その間で、ピエロは立ち上がり、身を乗り出した。視線の先は、ジーンだ。
舌なめずりをする。
慣れているような雰囲気だった。恐らく、いろんなところでこんなことをしているのだろう、と思うとげんなりした。
ジーンは分かった、と声を低くしてつぶやいた。
「いくら出せばいい?」
「500万」
端的に述べる。誰かが何も言わないうちに
「これでも譲歩してる。人の命救ったんだ」
と追撃をした。
それから教団長にも視線を向けて、
「一応なんていうの、スキャンダルに値するんだから、教団長、他人事だと思ったら罰が当たるかもよ〜」
教団長は、すぐに用意する、と言って、あっさりと執務室を出ていった。
三人だけになった教団長執務室で、ジーンはリーンを睨みつけた。
「何で、そんなとこに行った」
「──好奇心って言ったでしょ」
ジーンに事の次第を話す気には、とてもなれなかった。
すぐ、というのは本当だった。
教団長は現金で直接ピエロに口止め料を渡した。札束が、ぽんと放られる様子は「お嬢様」であるリーンにも物珍しい光景であった。
しかも──800万。
ここまで気軽に大金のやり取りが行われていいのだろうか。しかも、裏の話だ。
「ありやとやした〜!」
テンション高くピエロが言うと、リーンの手を取って立ち上がった。
「リーン嬢を何処に連れていくつもりだ」
教団長が落ち着き払って言う。
「借ります」
顔に似合わないかわいらしげな声──と見せかけている単なる高い声──でピエロはごまかし、随分と険のあるウィンクを残して引っ張っていった。
「父さん、気にしないでね」
リーンは執務室から出る寸前に振り返って、言う。
心配をかけまいとしているというより、くぎを刺すような声色だった。
厚いドアが閉まる。
「──情報、売ってやる。もっと引き延ばしてやろうかなと思ってたけど、300万余計に手に入ったんでね。あ、情報料はちゃっかり頂くから」
ピエロに囁きかけられたが、リーンは何も言わなかった。
教団の本部を丁度出たところで、また、立ち止まるはめになった。
今度は初老の男性ではない。
王女様。