SIDE-L
「王女様」
リーンは思わず口走ってしまい、対峙したその王女様とピエロは同時に変な顔をした。
「なんで、王女様?」
ピエロが間抜けた声を出す。リーンは急にあわて始めた。どう表現したらいいかわからなかったからだ。
「あーの、その、雰囲気が、王女様みたいというか、王女様じゃないのはわかってるんだけど、『王女』っていうものに近いものを感じるっていうか……そういうの、わかんないかなぁ」
「わかる」
とうの王女様がそう言い、リーンとピエロは顔を見合わせていた。
三人の脇を見知らぬ修導士が通り抜ける。舌打ちが聞こえた。それもそのはず、ここは教団本部の扉の目の前だ。
邪魔なのはわかっていたが、どこうという考えさえ浮かばなかった。
王女様がリーンを小首をかしげて見つめる。
「勘でしょ? 一言で言うと。なんだかぼやっとした感じがして、でも、一度それがひらめくとそれ以外のことだとは思えなくなる」
あっ、と思いついたにしては大きすぎる声をリーンはあげていた。
そうだ。そんな感じだ。的確に言われた。
「そう、あなたからそんな感じがする」
リーンは王女様を指差した。王女様は肩をすくめはしたがその指を払いのけることはしなかった。
顔には、年にしては大人っぽ過ぎる妖艶な笑みが浮かんでいる。薄紅色のドレスとよく合う。
「いい線いってる。でも──様付けはやめて。おかしい。確か、あなた、副教団長の話によると姫神を信じていないのよね?」
何の話をしたいのだろう。王女に言われるがまま、リーンはうなずいた。
ピエロが王女を見て、首をかしげた。
「いい線いってるって、じゃあ、名乗ればいいじゃない」
「そうよね。でも、名前は捨てたの。言いましたよね?」
王女はいたずらっぽく笑って、リーンに詰め寄った。身長差は、頭半分ほどだ。
「なんで、姫神を信じないの?」
「なんでって……」
リーンは言葉に詰まった。こんな風に聞かれたことは数え切れないほどあるのだが、姫神に様をつけずにこんな風にずけずけと言われたことはなかった。調子が狂う。
それもそのはず、リーンにつっかかってくるのはほとんど姫神を深く信仰する信者だからだ。
しかし、王女にその様子は見られない。ぞんざいな態度がそれを物語っている。
「──姫神なんて神はいないって……思ってるから。それで、教団がよからぬこと、たくらんでるんだって、信じてるし」
リーンはもごもごと王女をうかがいながら言う。王女は興味深そうにリーンをうかがう。
あまりに接近してくるので、リーンは不気味に思って身を引いていた。
「………な、なに?」
「………まさかねぇ」
王女はリーンから離れ、はっ、と短く息を吐いた。そして、踵を返す。
その後ろ姿をリーンは呆けた顔で見つめていた。
「な、なにもんだったのよ──ほんと、調子が狂うわね……」
ピエロはポケットに手を突っ込んだ格好で、猫背のままリーンを見た。リーンは視線に気づき、ピエロを見返す。
「なによ?」
「情報ほしくないんかねーって」
「いや、ほしい、けど……」
先ほど王女が立っていた空間を見つめ、独りごちるように言う。
「あの、王女の情報のほうが今は……欲しいかな」
「移り気すんねぇ、お嬢ちゃん」
呆れているのが声だけでわかる。が、言い返しはしなかった。
確かに、あれほどまで教団の企みに拘っていたのに、急に初対面の女の情報を欲しがるのだから、そう思われても不思議はない。
さらに小言を言われるかと思っていたが、ピエロは軽くリーンの頭をたたいただけだった。
もう日は暮れていた。
町のほうへ歩き出しながらピエロが頭をかきむしっていた。
「うーん……どうしよっかぁ」
リーンが訝しむような視線を投げかける。
「何が?」
「いやね、もう日が暮れてんの。今情報売っちゃってもいいけど……いや、やっぱ後日にさして」
「なんで? 情報に自信がないの?」
「いや、教団についての情報は売ってあげてもいいけど……王女の方」
「王女の情報、あったの?」
ないと思ってたのぉ、とあからさまにピエロが心外という顔をした。
ピエロの顔にはどこか凄味があるので、必然的に変な顔になる。
「……持ってると思ったけど……」
持っているかもしれないとは思っていた。でも、売ってくれるとは思っていなかった。
ピエロは本気で考え込んでいるようだった。
「……明日、確信を握りに行くしかないね。不確かな情報は商品にならないのよ。俺の名にかけて絶対売らないって決めてるから」
「確信を握りに行くって?」
それにピエロは答えなかった。
代わりに空咳を一つして、だから明日、と続ける。
「情報は売ってあげる。今日はここでお別れ──と言いたかったんだけど」
「言いたかったんだけど?」
「俺、裏世界の人間だから、あちこちにある裏の繁華街で寝泊まりしてるの。明日合流するにしても──リーンちゃんが裏繁華街に行くのはちょっと危ないしー……」
「電話でやり取りすればいいじゃない」
「情報っていうのは、漏らしたらもうアウトなの。俺、裏で有名だから、電話なんてみんな傍受したがるのよ。口伝じゃないと絶対だめ。特に──リーンちゃん」
ピエロはかがみこんでリーンを至近距離から見つめた。リーンは鼻先さえぶつかりそうな距離に身を引く。
ピエロの声色がいつになく真剣みを帯びた。
「君さ、気軽に首突っ込んでるけど、リーンが手に負える相手では正直ないんだわ、教団って。この世界で一番力を持ってる組織だから。──これは言い過ぎかもしれないけど、少なくとも他の各国のトップと渡り合っていけるだけの権力は持ってる。リーンは副教団長の娘だから、そのトップたちに会うことだって容易だし、そのナンバーツーが肉親だから、他の国でも我が物顔できるぐらいの、無条件の権力を持ってることになる。だけど、君はやっぱり女の子。たかが14……じゃなくって、15の女の子なんだわ。そうだよね? 俺の情報じゃ15歳なんだけど」
合っていたが、リーンは首を縦にも横にも振らなかった。たかが女の子だなんて言われて、リーンは悔しさで唇をかみしめていた。
そうかもしれない。思いあがっていたのかもしれない。
確かに、自分が無条件の権力を持っているという自覚はあった。だから、他の人があがめるような立場の人間と、対等な態度で接したりしたし、その権力があったからこそ、何度も行ってきた抗議行動──他人から見れば問題行動──を禁固なんかでやり過ごせたのだ。それがなければ、もうリーンはずっと前に首をはねられている。
「教団の企みの情報を、俺が提供したとして、リーンちゃんになにができるの? って、そういう話なの」
リーンはピエロをにらもうと思ったが、それはお門違いだと思いやめた。
ピエロが言うことは正論だ。リーンは副教団長の娘という貧弱な武器と権利しかもっていない。しかもそれは、当の副教団長や教団長にはあっけなく敗北するレベルのもので、年齢と今までの言動という重い枷も付いている。
とても戦えない。
「でも!」
リーンは声を張り上げていた。
「他の人たちは、教団──というより姫神を頼ってるんだよ。他の人たちは教団と戦う気さえないの。だったら、教団はその企みを妨げなく完遂することになる。それは、それは避けたいから──」
と、突然ピエロが吹き出した。
真面目に話しているのに、と今度はしっかりリーンはピエロをにらんだ。ピエロは腹を押さえて笑っていた。
「ははっ、リーンちゃん、教団の企みがあること前提で話してるよね、その企み、俺、話してないのに」
「だって、その情報があるから売り買いするんでしょ? おっさんはその情報があるから私を信じてくれたんでしょ? 私、ずっと、教団が姫神を信じこませることでなにかひどいことをするって──ずっと信じてきたんだから」
「信じてきても、君にできることは限られている」
「でも同じ人間ができるんだから、私が全く同じだけできなくても、手が出せないなんてこと、絶対ないし」
第一、とリーンは言う。
「見過ごすとか、無関心とか、そういうの大嫌いなの」
ピエロは一瞬時が止まったかのように硬直した。
そうか、そう思うのか──そっくりじゃないか。
懐かしさを感じて、ピエロはやれやれとでもいった風に、破顔した。
それとも、とリーンはうんざりしたようにピエロを見上げた。
「教団の企みはそんな、笑って流せるものだったの?」
ピエロは笑ったまま言った。
「そんなわけないじゃない。だってそれは、全世界の人を巻き込むんだから」
教団の存在がすでに全世界を巻き込んでいるのだから、さほど驚きはしなかった。
ただ、すーっと、水にぬれた指先で、背中をなでられるような感覚がした。
寒い。
むろん教団のある島国以外の国にも信者はいる。
というより、前にも言った通り、この世界のほとんどの人間が姫神教の信者だ。
姫神が舞い降りた場所に教団が立ち、本部が立ち、移民だけの国ができ、その場所に教団の関係者が多く集まっているというだけだ。
だからこの島国以外にも教会や教団の支部はある。この島国でできた子供の国籍は、親の国籍を受け継ぐ形になる。
リーンはこの国の生まれだった。
このほかの国には、母に会いに行く時と、父の仕事について行ったことが何度かある。
が、一回姫神教についての対談をリーンがぶち壊したことがあり、それ以来ジーンはリーンを連れて行ってくれない。
ということで今では母に会いに行く時しか外国に行く機会がない。
ちなみにリーンは姫神教の学校にも行っていたが、問題行動が教師を呆れさせて、今では「副教団長の娘といえどもう無理です」と一部の教師から苦情が出るほどになったので、今は登校自粛という名の学校と教団の公認不登校である。
──クラスメイトにも白い目で見られていた。当然である、姫神教の学校で姫神教を否定していたのだから。
唯一仲良くしていた女の子には、こんなことを言われた。
「なんで姫神様を信じないの? 教団が嫌いならそれでいいけどさ、このままだとリーン、学校に行けなくなっちゃうよ。見てくれだけでも、信仰してないと」
表面だけでごまかせば、いい。
そうなのだ、そうすれば、登校自粛なんてしなくていいし、友達ともなじめる。
だけど、できなかった。
教団が何か陰謀を働いていて、多くの信者をだまそうとしてるんじゃないか──そう、リーンの中の何かがリーンに働きかけ続ける。
幼いころから、ずっと。
「リーン、誰?」
バーの店主がしかめっ面でリーンを見る。かな文字でやはり、Barとある。
カウンターには男たちが数人酒をあおっていた。
皆一様にリーンと、その隣にいるくたびれたシャツの男を見る。
「ええと……ジェヒ、知り合いのおじさん。ピエロ」
「はじめましてー」
リーンは家に帰りづらいときは、いつも結局この店主のバーで寝泊まりしているのだ。
だから今日は、ピエロとここに泊まればいい、と思った。そしてピエロがそれに賛同した。
後ろのテーブル席に二人して座る。店主は呆れてため息をつくだけで、ほかに特に何か言おうとはしなかった。
「ラッキー。ありがと、ここなら寝れるわ」
ピエロがソファに横になりだした。店主の視線を後頭部に感じていたが、リーンは気にしない。
ピエロを上から覗き込む。
「ねぇ、ここで寝泊まりするなら、ホテルとか別の場所で寝泊まりしても一緒なんじゃないの?」
「ちゃんとした施設に泊まると万が一の時怖いからね。あ、おねーさん、強めのお酒ちょうだい」
店主は一瞬嫌そうな顔をしたが、なんだかんだで酒の用意もする。
リーン陽の水を置いた後に、明らかに雑に入れたのだとわかるぐらいこぼれた酒でぬれたグラスが店主の力強い手でテーブルに置かれた。
それをピエロは横になったまま一気に飲む。グラスを置いた彼の顔色に変化は見られない。
「お酒強いんだ」
ピエロは得意げに胸を張り、小声で言う。
「もちろん。情報を引き出そうとして酒を飲ませる奴もいるしね。酔ったら負け」
「──さっき言った、万が一って何?」
リーンはちゃんと聞こえるだけの声量で聞いたのだが、ピエロは答えようとしなかった。
BGMにかき消されたのだとでも言うようにさりげなく無視して、グラスを高々と上げて言う。
「おかわりちょうだい」
バーの雰囲気ぶち壊しである。
店主は舌打ちして酒を注いで置いた。
「代金は貰うから。わかってる?」
「だいじょーぶ。俺、金持ちだから」
はん、と今度は鼻で笑って店主は早足で立ち去って行った。
奇怪なものを見る視線でテーブルへ振り返っていたカウンターの男たちも、前へ向き直っていた。
「ねえ、で、くれるんでしょ?」
「王女の情報はお預けだよ」
「違うってば」
小声で声を張る。
リーンは水を飲んでから、言う。
「教団の情報。何をしようとしてるのよ、教団は」
「リーンちゃん、覚悟は、いい?」
そんなことを言われると、鳥肌が立つ。
でも、もう後戻りはできない。知っているのは──出来るのは、私だけ。
リーンはゆっくりとうなずいた。
と、何を思ったかピエロはシャツの裾や背や襟をぺたぺた触り始めた。
靴の底、パンツの裾。
「なに、やってんの?」
緊張していただけあって、リーンは呆れ半分でその姿をみる。
「盗聴器チェック。だいじょーぶ、ここのBGMなら店自体についてても聞こえないし。リーンちゃん、盗聴器ついてる?」
「わ、わかんないわよ、そんなの」
リーンはあわててピエロと同じように、体のあちこちを調べだした。
「跳ねればわかる。ジャンプ」
リーンは小さく椅子の上で跳ねた。
特に物が落ちた音はしない。
「まぁ、簡単だけどチェックはそれでいいや」
ピエロはリーンに耳打ちした。
「教団は全部を手に入れたいの。だから、教団は攻撃を仕掛けようとしてる」
「──何に?」
「全世界」
リーンは慄く。
「平たく言うと戦争ね。しかも、対全世界の。でも、案外楽勝だと思うよ。だって──世界中に、姫神をひどいほどあがめている信者がいるんだもの」