SIDE-L
「──で、あんなカッコつけた後にのこのこ帰ってきたのかい」
店主は呆れそのものの声でいい、ため息をついた。
「今朝だろ、意味わかんないこと言って出て行ったのは」
「ほーんと、そうだよね」
その姿を真似てから、リーンはピエロに掴みかかっていた。
ピエロは反射で一歩飛び退く。カウンターに客はおらず、この3人を除くと常連の酔いつぶれた男だけがテーブル席で寝ていた。
バーのことである。
「だってあの王女ちゃんいなかったし」
ぶつぶつとピエロはそんなことを言うが、リーンは前かがみの姿勢でピエロをねめつけている。
「なんで王女を探す必要があるのよ! それを教えろって、こんなに暗くなる前からずーっとずーっとずーっと言ってんのに!」
リーンがドアについている窓を指差す。
すりガラスになっていたが、それでも、外が真っ暗ということが分かった。
ピエロはリーンを一瞥した後、ひとり視線をよそにやって考え込む。
「………あの少女、あきらかにVIP待遇だったから……教団で聞き込みしても、知ってる人はひとりもいなかったし、教団内で見かけたって人も、あれほど聞き込みして数人程度……やっぱり」
──黒い髪の桃色のドレスの18歳ぐらいの女の子? 見たことないな。そんな色のドレス、修導士じゃ着ることができないし…姫司祭様だって、着れるかどうか…リーン、お前の特技のほら吹きなんじゃないのか?
──黒い髪の桃色のドレスの18歳ぐらいの女の子。一回だけすれ違ったかな。金髪の超美人な娘さんを連れてたよ。だから忘れてないね。
──黒い髪の桃色の……ああ、僕、清掃係だから知ってるんだけど、何回か見たよ。いつも姫司祭様を連れていて、教団長様がめちゃくちゃ頭を下げてたよ。すごいよね。どこのお嬢さんなのかね。どこかの国の姫っていうのもあり得るけど、教団長様にあそこまで必死に頭を下げさせるって……周りの姫司祭様もまるで教団長より自分が偉いみたいに胸張ってて、びっくりした。…ひとり、修道士の金髪のかわいい女を連れてるけどね。あの子だけは修導士服だった。
「…やっぱり?」
リーンがずいと詰め寄る。ピエロは我に返り、リーンへ掌を押しつけた。
「いやいや、なんでもないのよ?」
「そりゃ、王女が教団本部であそこまで知られてないのも、なのになんであんな待遇なのかもおかしいけど、それが教団の仕掛ける戦争と何の関係が……」
「王女? 戦争? なんだって?」
いつの間にかリーンの傍らに店主が立っていた。
「わっ、ジェヒ……」
「あんたら、さっきから何の会話をしてるんだい? 教団が戦争を仕掛けるって、どういうこった」
「えーっと、それはね……」
口を開きかけたリーンを抑え込み。ピエロは相変わらず可愛げのかけらもない愛想笑いをする。
店主が訝しげに見る。
「なんだい?」
「大したことないない。この子の狂言にまつわることだし」
「あんたの言うことはあてにならないんだよ。ぺらぺらしてる考えが丸出しなんだよ。気持ち悪い笑い方すんじゃないよ! リーン、どういうことなの?」
店主はピエロの腕を女性にしてはそれなりの力で払い、リーンを見つめた。
リーンはうろたえているそのものの表情でジェヒと見つめ合っていたが、ふいに優しい目になり首を振った。
「ううん。このおっさんのいうとおり。私の勘の話。狂言じゃないけど」
店主はそんな答えが出てくると思っていなかったのか、曖昧に返事をし、首をかしげてカウンターに戻った。
「……なんで俺をかばったわけ」
ピエロがリーンに耳打ちする。
リーンはにこっと笑ってからウィンクした。
「かばったわけじゃないよ。なんか、ここで言うとジェヒが巻き込まれたり嫌な目にあいそうな気がしたから」
ピエロはうなずいた。が、そのうなずきがだんだんかしげるしぐさに変わっていき、それもなんだよね、と言った。
「それも問題なんだよ」
「それって?」
「リーンちゃんのこと」
私? とリーンは自分を指差したが、ピエロは答えなかった。
「とりあえず、今日も俺、ここで寝るけど…リーンちゃんは別に、本部に帰ってもいいんだよ?」
「は? 今さら何言ってんの。私は、戦争の真相を父さんたちから問いただすまで諦めないよ」
「……そう思ってるならそれこそ今すぐ副教団長に直談判すればいいことでしょ。こんなその場限りの家出してないで」
リーンはカウンターの席に腰掛けて足を組む。ふん、と鼻で笑う。
「……今まであんなに私が問い詰めてたのに、ちっとも口を割ろうとしなかった父さんが、何の証拠もなく戦争だって言ったところで、うなずくと思う? 真相がわかったんだから、今度こそ証拠を拾ってこないといけないじゃない」
変なところで理性的だなぁ、とピエロは微笑み、俺の言う戦争は証拠なしで信じたのにね、と続けた。
リーンは聞こえなかったのか聞こえなかったふりをしているのか、反応しないまま店主が用意した水を飲んでいた。
一番の問題は、あんたなんだよ、リーン。
世界中の支持する姫神を、根拠もなく否定できて、しかもそれを無条件に信じてる。
俺の言う情報も、「そんな気がする」の一言で信用する。
あんたは、十分おかしいよ。まるで、 ──
真夜中になった。
先ほどよりずっと静かになる。
店主はカウンターの奥で眠りこんで、リーンもカウンターにうつぶせて眠っている。
また、ピエロも壁にもたれかかるようにして、眠って──いるふりをしていた。
「……」
音もなく起き上ると、何食わぬ顔でドアに手をかけた。押す。
わずかにドアの奥のプレートが揺れた。
「なにしとんのかね?」
ゆったりとした口調で問われて、ピエロはとっさに動揺を押し隠し振り返った。
酔いつぶれ寝ていたはずの男が、こちらを見ているのが、ドアからのスモークガラスの月明かりで分かった。
「……ちょーっと、トイレ」
「トイレはこっちにあるよ」
男が少しずれる。茶色い小さな扉があった。その前に、ソファが遮るように置いてある。
ピエロは相手に聞こえないように舌打ちした。
「今ずらすから、しばし待ってて」
男はいつもと同じようによれた声でそう言い、たちあがりかけたのを、ピエロは小声で制した。
「いーよ、おじちゃん。俺、外行くから」
「うんにゃ。近頃、夜は教団との規約を破って門の奥の、闇の繁華街のやつらがこっちに出てくるからね───」
「お、じ、ちゃ、ん」
無声音で言い聞かせる。
「今ここにあることは、全部夢だ。わかるね?」
「……そう?」
「そう」
「じゃあ、覚めるわ。おやすみ〜」
男は再びソファに寝転んだ。間もなく寝息が聞こえてきた。
ドアが開き、閉じる。
「ピエロ!」
朝の光とともに飛び上がったリーンは、カウンターの上に膝たちになった。
大声を出して店主を起こす。
「ピエロは? ねえ、ジェヒ!」
「ああ? あの胡散臭男?」
「そう! おっさん、どこ?」
「え? いないのかい」
店主は、目をこすりながらカウンターの上に這いだした。
確かに、店内にピエロの姿はない。
「どーして、いないのよ!」
「あたしが知るわけないだろ。いいよ、あんな男。リーンにロクな影響与えないんだから」
「ロクな影響はないけどあいつがいないと戦争のこと……」
そこまで言ってリーンは口をつぐんだ。
だめだ。このことに……ジェヒを巻き込んじゃいけない。きっと。
「戦争? またその話かい。一体……」
ドアが開いた。
「ピエロ?」
リーンは背筋をぴんと伸ばす。
朝日の逆光に映し出された影は、明らかにピエロより小さかった。
「………王女?」
「久しぶり…ではないわね。私の半身」
不吉な予感が、した。