SIDE-I
目を開けても、そこには目をつぶっているときと変わらない風景があった。
だから、一瞬目が見えなくなってしまったのかと思ったが、そうではないらしい。
斎は今座っていた。
だから、まずここはどこか、なぜこうなったのかを探るために、たちあがろうとした。
うまくいかない。
両腕は後ろに回され、椅子の背もたれに縛り付けられていた。
また、足も椅子の前足に縛り付けられていた。
どうやら拘束しているのは縄の類ではなく鎖のような金属らしく、抵抗するとミシミシというよりギシギシと、固いものが軋む感覚がした。
そうこうしている間に、気を失うまでの出来事がまざまざと思い出されて、首が何となく疼く。
触れて確かめることさえできない。
「……ソア」
………何が目的、だ?
いきなり後ろが光りだし、斎は首だけ後ろを向いた。
あたりが暗闇だけだったために分からなかったが、真後ろには扉があったらしい。
長方形に光が見えて、逆光により顔はうかがえないが、懐中電灯を持った男がこちらへ歩いてくる。
白いローブを着た、姫司祭のような格好だった。
変なことに、扉が閉まったと見えると、暗闇に慣れた目と光る懐中電灯で、男の顔がはっきりと見えた。
………どこかでみたことがある……。
男は黙ったまま目の前に立っていた。
いきなり懐中電灯を向けられ、思わず目を細める。と、男の顔が分かった。
「お前、姫になんか言いに来た、あの顎鬚か!」
男は驚いていた。眼を見開き、ものも言わず斎をじろじろ見る。
「な、なんだよ………」
「なんと、また術をかけてやったというのに。貴様は…同志……では……ないっ!」
男は叫ぶと、すっかり取り乱した様子でわめき始めた。
「貴様は神捜しとして姫神様の僕になるどころか粗悪品になり下がることもなく、姫神様を慕う民衆どもになり果てることさえない! 姫神様の世に姫神様を敬わぬ恩知らずが蔓延ろうとは姫神様さえ思わぬわ! 貴様が今ここに入れるのも慈愛に満ちた姫神様の愛あってこそだ! 敬え、地に額をこすりつけ幸福を請え! 選ばれぬ悲しみに泣き、姫神様を尊べる喜びに泣け! しかし貴様は選ばれた気高き我らの同志、神捜しの子に選ばれたというのに、それを蹴ったのか! 粗悪品以下か、貴様は! ふざけるなよ、姫神様を尊べ尊べ尊べ!」
あっけにとられていた。
なんだこいつ。狂信者か。
確かに、世の中には姫神の信者だらけで、中には盲目的に姫神を慕うものもいないわけではない。……斎の両親のように。
「あれ? 頭痛が起きない」
子供の頃のこと、両親のこと、過去のこと。
思い出そうとすれば、それを阻むようにいつも激しい頭痛が起きていたはずなのに、もう起きない。
そうだ、思い出せる。
子供の頃のこと、両親のこと、過去のこと。
斎の両親は修導士だった。
毎日教会に通っては、教会の世話を一切請け負い、それは幸せそうだった。
この言い分がずいぶん他人事なのは、斎は幸せではなく、というより両親と遊んだ記憶がないからだ。
もちろん、邪険にはされていない。
ご飯も食べさせてもらったし、高校までは通わせてもらった。
いつもにこにこしている母。豪快に笑いながら祈る父。
彼らは親としてより、信者としての生き方の方が好きだったらしい。
斎は、姫神より優先して物事をされたことはない。
運動会があろうが参観日があろうが、教会の祈祷を欠かすわけにはいかない。
高熱で死にそうなくらい苦しくても、傍らにあるのは誕生日プレゼントとして押し付けられた姫神の像だけだ。
気づけば家出をするようになっていた。
その時にジェヒと知り合った。気のいい肝っ玉母さんという感じで、斎はよくジェヒのバーに通った。
両親は迎えに来る。たまに。
姫神の教えには人と人は手を取り合って慈愛の心で接しろ、というのがあったから、「優しくする対象」を引き戻しに来る。
教団で行事があればそれが優先だし、その方が斎自身もよかった。
斎が真っ先に浮かべる修導士像が両親だったからこそ、ソアと初めて話した時に違和感が生じたのかもしれない。
ある日、8年ほど前のこと。
珍しく早いうちに引き戻された日のこと。
玄関に、ローブを着た男女が立っている。
言い知れぬ恐怖心により、斎、壁に隠れて会話を聞く。
玄関にいる両親は、男女の話に嬉々としている。
「………まぁ! うちの子が、半身? そんなことがあるのかしら」
「でも、姫神様が半身を必要としているのなら、喜んで斎を差し上げよう。なんせ、斎、だしな」
神のために行動を律する。
「斎、来なさい」
厳しい口調。斎は動かない。
「斎!」
父が斎を羽交い絞めにして、男女に文字通り差し出す。
男女は、斎の手を取り教団本部へ行く。
そして、目隠しされる。
子供の嬉しそうな声、鳴き声がたくさん聞こえる場所を通る。
暗い場所に、閉じ込められる。目隠しを取られる。
目の前に、仮面をかぶった大人が出てきた。
声が音楽のようなリズムをもって、聞こえ出した。
確かに言葉であるはずなのに、斎にはどういうことかわからない。
異国語を聞き流す感覚に似ていた。
やわらかい鈴の音色。
そして、斎は眠りに落ちる。
子供のころの記憶。
思い出そうと思っても、思い出せなかった、空白の場所。
「………じゃあ、なんで俺は…今まで思い出せなかったんだ?」
自問自答してみるも、分からない。
「……これが分かるか、愚かな粗悪品以下」
ふと、先ほどよりはだいぶ理性的になった男の声が聞こえてきた。
「俺のことかよ」
男の手元を凝視する。
懐中電灯に照らされているのは、銀色の鈴だった。
神社に使われているものよりは小さく、ストラップについているものよりは大きい。楽器の鈴に近いサイズ。
「そりゃー鈴………」
と、言いかけて、男が胸元にしている奇妙なバッチが目に入った。
桃色の…手をかたどったモチーフに、銀色の翼。刻まれた文字。
<神捜しの子 ダドリー>
「お前がダドリーかよ!」
──この教会の姫司祭で予言を授かるのはダドリー姫司祭だけよ。
いきなり叫んだために、怯むかとおもったが、ダドリーはまるで反応しなかった。
俺と話してんのに、こいつ、絶対俺のこと見てねぇよな。
「鈴だろ。鈴。それがどうした」
「この音に聞き覚えがあるだろう」
ダドリーが鈴を鳴らした。
鈴の音色。ひとつ…ふたつ……。
頭痛。
「うっ……」
激しい、頭痛。
そうだ、これは、子供のころに聞いていた、鈴の音……。
鈴の音がやむと、頭痛も止んだ。
「催眠術、という」
偉そうに、その言葉を読み上げるようにしたダドリーだったが、斎はそれを知っていた。
「催眠術? ……あの、眠らせる奴だろ。まさかそんなのを俺にかけたなんて……」
「そんなの? なぜ、そんなことが言えるのか。これは信者を取りまとめるにふさわしい、高尚な呪術だぞ。我ら神捜しの子は、この術により姫神様の元へ逝けた」
ダドリーは顔を紅潮させてすっかり高揚した様子で言った。まともな会話が成立しない。
「神捜し? なんだそりゃ。なぁ、俺に催眠術をかけて昔の記憶封じ込めたってことかよ。大体、姫神様とか半身とか…どういうことだ」
「この術をないがしろにするなど……」
「おい! 人の話を聞け!」
斎は縛られたまま動くが、椅子がわずかにがたがたとゆれるだけだ。
バランスを崩しそうになったところで、もう一度後ろから光があふれだした。
振りかえると、また扉が開いて、ダドリーが懐中電灯を出てきた女に向ける。
照らされたのは、
「ソア!?」
昨晩見たままの姿だった。おそらくだが。どれくらい時間が経ったか、分からない。
ダドリーは忌々しげに舌打ちした。
「粗悪品風情が、何の用だ」
「姫神様が、半身を迎えに行く際、私を斎さんに会わせてくれると仰せになりました」
「姫神様が? 姫神様は私めにこの者に術をかけろと命じておられたのに……嘘か誠か?」
「本当ですよ。姫神様は慈愛深いお方、そうでしょう?」
「姫神様はそう、慈愛の精神そのものだ。しかし、神捜しの子でありながら、我が同志になれなかったお前らの狎れ合いを認めてくださるというのも、姫神様だからこそだ」
ダドリーは嘲笑して電源を落とした懐中電灯をソアに投げつける。
ソアの腹部に当たったそれは、転がり、ダドリーは笑いながらドアを閉めた。
ソアは暗がりの中で難なく懐中電灯を拾い上げ、電源を入れる。
「………暗視できるんですよ」
ずいぶん暗い声だった。
「私は、姫神様の下僕。神に近づくための、人間の許された力のほとんどを会得するよう言われています」
「な、なにいってんだ?」
ソアがソアでなくなってしまったようで、斎は思わず変な声を出してしまった。
ソア、というのは、斎の知るソアと同義だ。
「………初デートはずいぶん思い出深いものになったよな」
皮肉をぶつけてやったつもりだが、ソアはにっこり笑っただけだった。
「お詫びに、斎さんの疑問に答えて差し上げますよ」
それはよかった、と苦笑ともとれない笑いが漏れた。
まず、この恰好の理由から教えてもらいたかったが、口から飛び出したのは別のことだった。
「さっきから姫神様って、姫神様のそのお声とやらが聞こえるのかよ。お前らに」
「斎さんも聞いてたでしょう」
「あの、破滅を招くってやつか? 確かに今がその状態だな」
からかうようなニュアンスでそう言ってみたが、ソアはこれも気にする様子がない。
「それだけじゃない。姫神様を見たことさえあるでしょう」
「は?」
疑問に答える、といったくせにソアは続きを言わず、「他に何か疑問がありますか?」と言った。
「あるよ。たくさん。なんで俺はこの状態なんだよ」
叫びたかったが、なんだか疲れからか力が出ない。ソアは淡々と答える。
「あなたに術をかけるためです。ダドリー様が。逃げださないように、椅子に体を固定させてもらいました」
術とは、催眠術のことだろう。
「催眠術なんて、にわかには信じられないけどな」
「そうですか? 人間は眠れば夢を見るし、薬物での幻覚ということもあり得るでしょう。なのに、なぜ、故意に惑わされないと言えるんです?」
これ以上何か言っても無駄らしい。斎は頭を掻きむしりたかったが、手が使えない。
「……その催眠術っていうのが、過去の記憶を封じ込めたあれか。きっと昔も催眠術を俺はあの鈴を使ってかけられてたんだろ。だからその術を解いたってことか。お優しいことにな」
「違いますよ」
ソアは穏やかに言った。
「確かに過去の記憶を催眠術で封じ込めました。でもそれは、優しさとは関係ありません。あなたを私のようにしないためです」
「……どういうことだ?」
「神捜し、です」
斎は深いため息をつく。
「……ダドリーも言ってたな、それ。なんだよ、神捜しって」
「姫神様の半身を探す計画ですよ」
ソアは首をかしげた。髪の毛が動いて、一瞬だけ、桃色のピアスが見えた。
「思い出しているでしょう? 8年前のこと。この世には、姫神様と同じ存在がもう一つあるんです」
「姫神がこの世に存在してるってことかよ。信仰の中だけじゃなくって」
「言ったじゃないですか。あなたも見たことありますよ」
それについて、詳しい言及はできなかった。
──その、もう一人の姫神様を、半身と呼んでいるのです。
その半身を探す計画のことを、神捜しといいました。
だから、手始めに、盲目的に姫神様を信仰している家の子供──もちろん年齢は問いません──を取り上げて、片っ端から調べだしたんです。
教団本部に閉じ込め、その、「神捜しの子」に術をかけて。でも半身は見つけられなかった。
そのたくさんの「神捜しの子」には、術がかかっているときの記憶はないですが、それでも術をかけられるまでの過程やその後の記憶は残っています。
だから、むしろこの、進んで捧げられた子供たちを利用するために、もう一度、術をかけました。姫神様の忠実な僕となるための……。
………その末路が、あの、ダドリーのような人間なのか。
なぜこの世に在ることになっているのか知らないが、その「姫神」の命に従うことだけをすべてとし、人間らしい感情を奪われ、ただ姫神の「声」に一喜一憂し、光悦の表情を浮かべるだけ。
嫌だ。
嫌だ!
叫びそうになったが、か細いソアの声を聞き逃しそうでやめた。
とにかく、ダドリーもソアも斎も、その「神捜しの子」のひとりなのだろう。
「神捜しの子は全員姫司祭となり、姫神様の予言を世界中で伝えています。私とあなただけは、例外です」
「例外?」
「術にかからなかったんです」
ソアは皮肉っぽい笑みを浮かべた。こんなソアも、見たことがない。
「正確には、私はかかり切れず、あなたは術をものともしなかった。私は姫神様のしもべになりきれなかった粗悪品。だから全てをばらされぬよう、姫神様のそばにいつもいる。信頼はもらえない。あなたは簡易的な催眠をかけ、記憶を封じるだけで家に帰しました。殺してもよかったのでしょうが、術にかかったばかりの他の「神捜しの子」に目撃されたり怪しまれたりして、ショックを与えることで術が解けるのを恐れたのでしょう。軟禁したりすればそのうちばれます。あなたは神捜しの子の中でも結構若かったみたいですから」
……そういうことか。
簡易的な催眠だからこそ、思い出すたびに頭痛がしたのだ。思い出せそうな気さえした。
あんな、人間性をも変えてしまう催眠術をかけられれば、親の存在さえ忘れていたかもしれない。
「あ、ダドリー様は「神捜しの子」になった後、催眠術を会得されました。幼少時にあなたに催眠をかけた術士さんとダドリー様は別人ですよ」
斎は聞いていなかった。
先ほどの説明をもう一度、脳内で再生していたのだ。
──私は姫神様のしもべになりきれなかった粗悪品。だから全てをばらされぬよう、姫神様のそばにいつもいる。
ソアのすぐそばにいる、女。………姫神。姫。
「姫神様って、まさか………」
ソアは、にやりと笑った。
「気づいていなかったんですか」
本来、彼女の口から出るなんて信じられないほどの、嘲るような言い方だった。
「──本当に、鈍い人」