SIDE-I
「……ふざけるな」
「どこがふざけているのですか?」
今、普通の状態であればソアの胸倉をつかんでいただろう。しかし、今は椅子に縛り付けられているために当然動けない。
光源も、ソアの握る懐中電灯しかないのだ。ガタガタと音が鳴るだけ。
そんな悪あがきを嘲笑うようにソアは顔をほころばせた。
「教団や信者があがめているのは紛れもないあの、姫神様ですよ。……実態を知っているのは、教団の幹部と神捜しの子だけですが」
「あいつ、どう考えても人間だろうが」
憎々しげに吐き捨てた斎であったが、それからため息をついた。
信者からすれば姫は姫神なのだ。どうひっくり返ろうとそれは変わらない。
人間かどうかなんて、関係のないことだ。
姫神といっても象徴とか、教祖とか、そういうことを指しているのだろう。
ソアは平然と人間であることを肯定した。
「姫神様──姫様は人間です。ですが、私たちとは違います」
「……いや、もういい。聞いた俺が悪かった」
「姫神様の備える能力、知ってます?」
姫神の能力?
催眠術が解けたこともあって、親に教えられ続けていた教団の教えの内容はさらりと出てきた。
──姫神は幸福をつかさどる慈愛の神。人々に予言と蘇生を授ける。
「予言と、蘇生……」
「そうです。姫神様は、それだけの力を備えているということですよ」
「姫が予言と蘇生ができるってことか? そんなばかな………」
「よくわかりましたね」
ソアはにっこり笑って手をたたいた。
斎は呆けて言葉を失う。
は?
「そのとおりですよ。姫神様は予言と人を蘇生させる力を持っています」
「な、なーに、言ってんだ、お前……そんなこと、できるわけないだろうが」
「世界中の予言は、姫神様が予言したものを、神捜しの子が姫司祭となって世界中に知らせているんです。言いましたよね? その姫神様が姫様なのだから当然ではありませんか?」
理にかなっていないこともない。
しかし、脳は全く受け入れようとしなかった。が、反論がなかなか出てこない。
「……当然って……ただの人間が……」
「ただの人間ではありません」
「さっき人間て言っただろう。第一、あいつはどう見ても俺より年下だ。なのに、俺が生まれる前から教団も伝説もあるんだぞ」
姫様に言わせると──とソアは言う。
「姫様のような、特殊な能力を持つ、人間が決して越えられないはずの壁──生死を操ったり、先のことを読んだりすること──を容易に打ち砕く特殊な人間、“神の化身”は、何十年かに一度、生まれるんだそうです。だから、姫様は、姫神を受け継いだ、二代目姫神ということだそうです」
二代目姫神?
「う、受け継いだってこと、か……」
「そうらしいですよ。もうそろそろ生まれてきているはずのもう一人の“神の化身”、つまり姫神様の半身を探すのが、元々の神捜しの子を集めた理由です」
「え? 何十年かに一度なんだろ? 見たところ姫は十代だし、神捜しが行われたのって、確かだいたい十年前だろう。計算が合わない」
「詳しいことは、私にも教えられていません。私は信用してもらえないんです。催眠術にかかり切っていませんから」
少し、悲しそうな顔をした。
「……私は、姫様の使いになりきれず、あなたみたいににさえならなかった……」
「俺みたいに?」
斎は椅子に腰かけたまま首をかしげる。
もう疑問符を語尾に付けるのは飽きたが、聞くことがたくさんあるのだ。
それに、ソアがここで見せる表情、一つ一つが、以前に斎に見せていたものではなかった。
それが新鮮で、それが今までがかりそめだったのかと落胆させ、反対に少し興味がわいた。
今までの愛想笑い、急に表情を変え、顔を青ざめさせる。
それもよそよそしかったが、今のこの、人を見下し蔑み嘲るようなこの表情。
違和感がにじみ出ている。
これが本当に、本心なのか、少し、興味が、わいた。
「あなたは催眠術にはかかりませんでした。しかも、二度も」
「二度?」
「今回ですよ」
ソアは目を細めた。
「前の催眠術を解いてから、もう一回かけ直したんです。ダドリー様が」
ダドリーと初めて話した時の、彼のうろたえようを思い出す。
「本来催眠術とは、長い時間をかけてゆっくりと洗脳していくものです。催眠術にかかる兆候さえ、あなたにはないようですね。おそらくこれは体質的なものなのだと思いますが」
俺は、かからなかった?
体質的なもの?
──そうか、そうだよな。
俺、あんな、生きてる死人みたいな親を見てたんだから、あんな風になりたいなんて、思わないよな。
そうか、そうだったんだ……。
斎は今気づいた。
俺は、信者になんて、修導士になんて、なりたくない。
だから、家出をしたし、帰る気も起きなかった。
だから、催眠術に、かからなかったのかもしれない。
──自分でも気づかないぐらい、深いところにあった、姫神への嫌悪。
一生、ダドリーのように過ごすなんて、絶対に嫌だった。
……俺、ソアが、あんなんにならなくて、良かった。
苦笑する。
今でも、ソアのことを気遣ってんのか。
恋心という恋心はぼやけてしまったが、なくなったわけではないらしい。
マジで惚れてたのか? 俺。
「哀れですね」
こんなことをうつむいて、こともなげにささやくこいつに。
「………あなた、もうすぐ口止めで殺されます」
うすうす感づいてはいたが、こうも率直に言われると、斎は苦笑いも凍って出なかった。
小さくせき込む。
それから、深呼吸して言い返した。声が少しかすれた。
「だったら、俺がお前に気絶させられてる時に殺してくれりゃぁ、よかったのにな。拷問する気か」
「こうやって私を使い、真実を伝えたのは姫神様のご慈悲です」
「ソアに会ったことを後悔する時間を与えるってことかよ。大した慈愛の姫神だな。ふざけてる」
この際、散々けなしてやろうと思った。
神捜しの子は、世界中の人々の中でも特に姫神を妄信している。姫神をけなされると激怒するはずだ。
あの、ダドリーの様子を見ると容易に想像がつく。
だが、ソアは怒らなかった。
眉間にわずかにしわが寄り、いぶかしむような表情になってから、ふっと泣き笑いの表情になった。
ように、見えた。
懐中電灯の光が強くソアにあたっていたせいかもしれない。
落ち着いて彼女を見れば、その顔は訝しみの顔のままだった。
唇が悪態をつこうともごもご動いている。そして眼はこちらを睨んでいる。
それにも違和感を覚えるのは、第一印象のせいか。
ソアが、気をつけないと聞き取れないようなわずかな声で、言う。
「──私を使い、真実を伝えたのはご慈悲です」
反射で聞き返したつもりだったが、声になっていなかった。
ソアは懐から、いつダドリーと受け渡しをしたのか、あの、催眠術に使う鈴を取り出した。
懐中電灯で照らす。
これが何か、わかるかと問いかけられているようだった。
返事代わりのように、体が竦む。
ソアは催眠術師なのかどうなのか分からない。
人間に与えられたすべての技能を持っている──という話だが、それはいろんな特技を持っていると、柔らかい言い方をすればそういうことなのだろう。
なら、ダドリーではなくソアに催眠術をかけさせたほうがよかったのではないかと思う。
ソア曰く「信用してもらえない」ために、ダドリーに催眠を託したのかもしれないが。
催眠術を習得しているかは、五分五分といったところだろう。
だが、その鈴に記憶を封じられていたのは事実だ。
自分が軽度のネグレクト(育児放棄)を受けていたトラウマも相俟って、催眠術にかかったのだろうが、それでも、記憶が封じられてしまうのではないかと、怖くなる。
畜生、怯えるなよ。情けない。
今この状況で十分情けないのだが。
「今、姫様は大事な御用があっておひとりで出ていっています。姫様の前で、できれば命を奪いたいので、もしかすれば生殺しの状態がしばらく続くかもしれません」
冷えた声だった。ただ、憐れんでいるのか見下しているのか、はたまたどんな感情もないのか、読み取れない。
ソアが鈴を振ろうとする。
意味もなく止めようと体が動き、椅子ごと前のめりに倒れ、胸を打ちつけた。
うめき声が漏れる。歯ぎしりを繰り返し、情けなさで涙腺が刺激される。
ここで泣けば、ますます自分が許せなくなるに違いない。
こらえられるか不安だったが、目は乾いたままだった。
「起きて死ぬのと、眠って死ぬのと、どちらがいいでしょうか」
懐中電灯の光は、立って斎の目の前にいるソアの手元、鈴にあてられているため、視界が暗い。
手元から照らされている光で、ソアの線のきれいな顎を見上げる形になる。
ソアは倒れこんだこちらに気づいたそぶりはあったが、首も動かさなかった。
「……死にたくないね」
憎まれ口でも叩いてやらないと、今以上に気が滅入りそうだ。
もうすぐ死ぬのだと宣告されて、納得したようには死にたくなかった。
ソアはそんな斎のことを知ってか知らずか、わかりきったような質問をする。
「姫様はあなたに選択の余地を与えるよう仰せなのに、なぜ逆らうのですか?」
「知ってるだろ。俺は……非信者なんだ。そうだ、姫神なんて信仰しない。親父たちやお前らみたいになるのは絶対に嫌だ」
せき込む。のどが渇きでかひりひりした。
「………ソア、お前が殺すの、か?」
「え?」
本気で驚いているような声だ。
「俺のこと、どうやって見つけたのか知らないけど……最初っからこうやってとらえて催眠術をかけ直すために俺に近寄ったんだろ? スタンガンで気絶させたことといい、俺のことはお前が一連の作業として行ってきたんだ。お前が俺を殺すんだろ?」
うつ伏せて、しかも中途半端に腰が浮いているこの状態はつらい。
ソアの表情を見る余裕はなかった。
「はい、私が殺します」とも「いいえ、別の方が殺しますよ」ともいわれない奇妙な沈黙が残る。
「……まあ、ハッキリ言ってどっちでもいいけどな。どちらにせよ……死ぬんだから」
これ以上話すと、よけい惨めになっていく気がして、斎は黙った。
「わ、私は──」
異論があるとでも言うのだろうか。
かすかに嘲り笑い返す。
鈴の音が、聞こえた。
頭痛が強まり、強まって、ソアの声が降ってくる。
催眠術、使えたんじゃないか。
じゃあ、やっぱり、信用されてなかったってことか。
ぐちゃぐちゃと意識が混濁する。
ずいぶん長い時間、催眠術をかけられていた。
ああ、この感じだ。
幼いとき、記憶を封じられた時も、長い時間術をかけられていた。
今と同じではない。今の何倍の時間だっただろう。
もう、どうでもいいか。
眠たい。
頭の上に、冷たいものが数滴、落ちてきた。