Fifth
She is crying.

SIDE-I

体が揺れていた。

ガタンガタンと音がして、その音に伴い、体が揺れている。

無理な姿勢だった。座っているようで座っていない。箱の中に尻餅をついて、手足は投げ出されている。

腕は湯船に浸かったときと同じ格好、と言えば無理なようには思えないが、そこそこの深さがある箱から足を投げ出していると、腰が痛くなってくる。

辺りは真っ暗だった。しかし、気を失う前と同じではない。

頭に触れるか触れないかの位置に、天井がある。

しかも、かなり軽い天井だ。それに加え、狭い。

動けば、その天井ごと倒してしまえるぐらいに。

斎はあたりを見回した。

というほどの広さではない。解っている。

どうやら、上から大きな段ボールのようなものをかぶせられているらしい。

この狭い空間の下側からかすかに漏れ出している光を見て、斎はそう思った。

その光も、直接入ってきているわけではない。薄桃の色がついている。

自分は今、台車の上に載っている箱の中に入っていて、更にもう一回り大きな箱をかぶせられていて、そのまた更に上に布をかぶせられているようだ。

さすがに、ここまで把握したのは、不用意に腕を動かし、かぶせられた箱をなぎ倒してからだった。


台車に乗せられて、おそらく

台車を押していたのはソアだった。

ソアは、斎と目が合ってあからさまに驚きと恐怖の表情を見せた。

ソアの華奢そうに見えた腕が、二十代男性の載った台車を押し進めていた。

斎が何か言う前に、ソアは斎がなぎ倒した箱と布を拾い上げて、斎の上にかぶせようとした。

斎はそうさせなかった。

ソアはますます怖がった。布だけを拾い上げ、台車を押しなおす。

そして聞こえるか聞こえないか、わからない、か細い声で言う。

「黙って乗っていてください」

「そんなことできるか!」

斎は猛然と言い放ち、自分の入っていた箱から飛び出した──ら格好もついたのだろうが、背中から腰に掛けてすっぽりと箱にはまっていて、手足をじたばたさせるのが関の山だった。

「お願いですから、動かないでください」

ソアは今にも泣きだしそうな声で訴えた。

「ゴミ積載所まで行けば、きっと逃げられます。人目もあるかもしれませんが、回収車の物陰に隠れる事さえできれば……きっと、きっと逃げられますから」

「逃げられる?」

「はい。だから……だから………」

泣き出しそう、というのは間違いだった。ソアはすでに泣いていた。

斎は驚いて、なだめようとしたが手足や頭以外の自由が利かない。

何とか声で説得を試みる。

「ちょっと待て、なんでお前が泣くんだよ! そんな風に泣くぐらいなら」

逃がしてくれなくても構わない。

そういいそうになって思いとどまった。

──俺、馬鹿か?

ソアは涙を手の甲でぬぐった。

「すみません……」

「……なぁ、俺を逃がしてくれてるん……だよな」

「……はい」

「どうしてだ? 俺、全部知っちまったんだぞ? そうしたら、姫だってただじゃおかないだろ」

「……はい」

「なぁ、どうしてだよ」

ソアは歯を食いしばっていた。

何か言おうとしているのをこらえているのか、それとも感情の発露を防いでいるのか。

どちらにせよ、失敗している。

ソアの涙は止まらず、嗚咽も漏れ聞こえている。

その泣き方というのも、泣きじゃくるとか、べそをかくとか、そういう型にはまるものではなく、強いて言うなら「しくしく」というような、静かでどこか品のある泣き方だった。

「………どうしてでしょう」

ようやく聞けた答えさえも、涙でふやけた声だった。

「おい、からかってるのか」

「わからないんです」

ソアはずっと涙をぬぐっていた。目も目の周りも真っ赤だった。

「姫神様に聞いていないから……」

「それ、本気で言ってるのか?」

「………わかりません」

「おい!」

「わからないんですよ!」

台車が止まった。

ソアは両手の甲を使い、涙をぬぐう。俯いた状態なのに、今度は感情が手に取るようにわかった。

悲しんでいる。慌てている。困惑している。

言葉に当てはめるなら、それらのどれかに近いのだろう。

「知らない………こんな感情、誰も教えてはくれなかった………。なんで……殺せないのか………殺したくないのか。なんで……………………逃がそうとしてしまったのか。姫神様を信じない者は慈愛を憎むもの。つまり、悪なのだと…………。私は…………ずっと信じてきたのに」

その言葉を聞いて、斎は何も言わなかった。相槌さえうたなかった。

少しして、ソアが続ける。

「姫神様は慈愛あふれる方ですから。あなたを苦しませるようなことはさせません」

斎は聞き返そうとしたが、すぐに、ソアは少し声を落として言った。斎の声マネらしい。結構似ている。

「なら、熱心に信仰してなくてもいいんじゃねえのか」

普段の声で言う。

「そうですね」

すこしおどけた声色で、斎をまねる。

「そうだよな……って、は?」

ソアは早口で続けた。

「信仰するということは、神に全てを委ねるということではありません。神を信じて、神に祈りをささげて、その恩恵を確実なものとすることです。私にとっては、そういうことです」


そして、少し黙り、斎の声をまねて言う。

「はぁ……そうなのかなぁ」


ソアの言いたいことが分からなかった。

確か、あって間もない時に交わした会話だ。おそらく間違っていない。

良く一字一句忘れずに覚えていられるものだなぁ、とは思った。

が、ソアの意図がつかめない。


ソアは会話の再現をし終え、ため息をついた。

台車が動き出した。

 

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