SIDE-I
体が揺れていた。
ガタンガタンと音がして、その音に伴い、体が揺れている。
無理な姿勢だった。座っているようで座っていない。箱の中に尻餅をついて、手足は投げ出されている。
腕は湯船に浸かったときと同じ格好、と言えば無理なようには思えないが、そこそこの深さがある箱から足を投げ出していると、腰が痛くなってくる。
辺りは真っ暗だった。しかし、気を失う前と同じではない。
頭に触れるか触れないかの位置に、天井がある。
しかも、かなり軽い天井だ。それに加え、狭い。
動けば、その天井ごと倒してしまえるぐらいに。
斎はあたりを見回した。
というほどの広さではない。解っている。
どうやら、上から大きな段ボールのようなものをかぶせられているらしい。
この狭い空間の下側からかすかに漏れ出している光を見て、斎はそう思った。
その光も、直接入ってきているわけではない。薄桃の色がついている。
自分は今、台車の上に載っている箱の中に入っていて、更にもう一回り大きな箱をかぶせられていて、そのまた更に上に布をかぶせられているようだ。
さすがに、ここまで把握したのは、不用意に腕を動かし、かぶせられた箱をなぎ倒してからだった。
台車に乗せられて、おそらく
台車を押していたのはソアだった。
ソアは、斎と目が合ってあからさまに驚きと恐怖の表情を見せた。
ソアの華奢そうに見えた腕が、二十代男性の載った台車を押し進めていた。
斎が何か言う前に、ソアは斎がなぎ倒した箱と布を拾い上げて、斎の上にかぶせようとした。
斎はそうさせなかった。
ソアはますます怖がった。布だけを拾い上げ、台車を押しなおす。
そして聞こえるか聞こえないか、わからない、か細い声で言う。
「黙って乗っていてください」
「そんなことできるか!」
斎は猛然と言い放ち、自分の入っていた箱から飛び出した──ら格好もついたのだろうが、背中から腰に掛けてすっぽりと箱にはまっていて、手足をじたばたさせるのが関の山だった。
「お願いですから、動かないでください」
ソアは今にも泣きだしそうな声で訴えた。
「ゴミ積載所まで行けば、きっと逃げられます。人目もあるかもしれませんが、回収車の物陰に隠れる事さえできれば……きっと、きっと逃げられますから」
「逃げられる?」
「はい。だから……だから………」
泣き出しそう、というのは間違いだった。ソアはすでに泣いていた。
斎は驚いて、なだめようとしたが手足や頭以外の自由が利かない。
何とか声で説得を試みる。
「ちょっと待て、なんでお前が泣くんだよ! そんな風に泣くぐらいなら」
逃がしてくれなくても構わない。
そういいそうになって思いとどまった。
──俺、馬鹿か?
ソアは涙を手の甲でぬぐった。
「すみません……」
「……なぁ、俺を逃がしてくれてるん……だよな」
「……はい」
「どうしてだ? 俺、全部知っちまったんだぞ? そうしたら、姫だってただじゃおかないだろ」
「……はい」
「なぁ、どうしてだよ」
ソアは歯を食いしばっていた。
何か言おうとしているのをこらえているのか、それとも感情の発露を防いでいるのか。
どちらにせよ、失敗している。
ソアの涙は止まらず、嗚咽も漏れ聞こえている。
その泣き方というのも、泣きじゃくるとか、べそをかくとか、そういう型にはまるものではなく、強いて言うなら「しくしく」というような、静かでどこか品のある泣き方だった。
「………どうしてでしょう」
ようやく聞けた答えさえも、涙でふやけた声だった。
「おい、からかってるのか」
「わからないんです」
ソアはずっと涙をぬぐっていた。目も目の周りも真っ赤だった。
「姫神様に聞いていないから……」
「それ、本気で言ってるのか?」
「………わかりません」
「おい!」
「わからないんですよ!」
台車が止まった。
ソアは両手の甲を使い、涙をぬぐう。俯いた状態なのに、今度は感情が手に取るようにわかった。
悲しんでいる。慌てている。困惑している。
言葉に当てはめるなら、それらのどれかに近いのだろう。
「知らない………こんな感情、誰も教えてはくれなかった………。なんで……殺せないのか………殺したくないのか。なんで……………………逃がそうとしてしまったのか。姫神様を信じない者は慈愛を憎むもの。つまり、悪なのだと…………。私は…………ずっと信じてきたのに」
その言葉を聞いて、斎は何も言わなかった。相槌さえうたなかった。
少しして、ソアが続ける。
「姫神様は慈愛あふれる方ですから。あなたを苦しませるようなことはさせません」
斎は聞き返そうとしたが、すぐに、ソアは少し声を落として言った。斎の声マネらしい。結構似ている。
「なら、熱心に信仰してなくてもいいんじゃねえのか」
普段の声で言う。
「そうですね」
すこしおどけた声色で、斎をまねる。
「そうだよな……って、は?」
ソアは早口で続けた。
「信仰するということは、神に全てを委ねるということではありません。神を信じて、神に祈りをささげて、その恩恵を確実なものとすることです。私にとっては、そういうことです」
そして、少し黙り、斎の声をまねて言う。
「はぁ……そうなのかなぁ」
ソアの言いたいことが分からなかった。
確か、あって間もない時に交わした会話だ。おそらく間違っていない。
良く一字一句忘れずに覚えていられるものだなぁ、とは思った。
が、ソアの意図がつかめない。
ソアは会話の再現をし終え、ため息をついた。
台車が動き出した。