Fifth
全てが貴方を神とするなら

SIDE-L

リーンは姫に引っぱられるがままになりながら、ずっと頭の中でぐるぐる考え事をしていた。

私は父さんの娘なのに、姫神なんかじゃないのに、なのに、なのに……。

怖かった。姫神が存在することよりもっと突拍子もない話なのに、聞いたばかりの時、信じてしまっていた。またそれも恐怖だった。

信じてしまっていたから、姫がほら吹きだと思わず、ピエロの居場所を姫が知っていると、とっさに信じて、だから大人しく連れて行かれたのだ。信じたということは、自分が姫神の予言で、それが真実だということを知ると察知したからなのだろう。

──だけど、とリーンは思い直す。本当に、姫神の予言だっていうわけ? この勘が?

初めて聞いた時のパニックから、時間を置いたからか、少しずつ冷静になってきた。

生まれてきたころから、ずっと自分の勘を信じてきた。自分の勘は良く当たるのだ。例えば、二つこぶしを突きだされて、飴玉が入っているのはどちらかと訊かれたら、ふっと空っぽの両手を開く映像が頭に浮かんで、「どっちにも入ってないんでしょ?」なんて言ってみて、相手は勘のいいやつだって、悔しそうに舌打ちしたりだとか。

勘がいいだけだ、そんなのは。どこにも姫神の化身などという馬鹿げた存在の証明にはならない。話を聞く限り、正確には最初に姫神を名乗った事実上教団の教祖と同じ超能力を持つ人間、ということなのだろうが。

そんな超能力があるはずがない。そんな力を備えて、人間扱いされなくなるなんてそんな。この女はただ、勘がいい自分と勘がいいリーンを関連付けたいだけなのではないか。

──そうだ、そうに違いない。最初に訊いた時信じてしまったのも、自分がただの勘のいい人間だとすれば、それが真実とは限らない。

真面目に考えれば、そういうものだ。リーンは自分で自分を嘲笑った。あれだけ姫神を否定した自分が、そんな狂言に踊らされるなんて、しょうもない。

姫とつないでいる手のひらに汗が滲む。今すぐこの手を放そう。父さんに、この女は狂言ばかりするので危険だと忠告した方がいいかもしれない。ジェヒにはいきなり出て言ってごめんと謝ろう。そう頭の中で考えても、行動に移すことは出来ない。

だって、ピエロの居場所はこの手を放したら一生分からなくなる。自分の今まで信じてきた勘が、ピエロがよからぬことに巻き込まれていることを教えていた。だから仕方なく自分は、ついて行っているのだ。

だから、仕方なくついて行っているのだ。

姫と手をつないだまま進んでいると、教会が見えてきた。ふと、その教会の扉を見る。あの扉から巨漢がが出てくる様子が思い浮かんだ。姫は扉の前を避けるように小走りで教会前を通り抜け、リーンも当然のごとくそれに続いた。肩越しに振り返ると、思い浮かんだとおりの巨漢が教会の扉を開けていた。顔つきも歩き方も横柄で意地が悪そうに見えたが、それでも腹を立てているようではなく、彼もまた、姫神の信者なのだ。

勘と言うにはあまりにも具体性の高いそれだが、リーンは生まれつき感じた勘が、それほどの具体性を持ったものだったので、あまり不思議には感じなかった。だからまだ、心の中で無理やり姫神の力を否定し続けている。

その半面、奇妙な感情が自分の中に浮かび上がっているのを感じた。──その存在を姫神の力と同様に、必死に否定しているのだが、それも無駄なことだった。リーンはその感情の名が優越感だと知っている。それに、その優越感は、自分が姫神の力を持っていると聞かされた時から確かにあったのだ。それを、混乱の中で知ることが出来なかっただけで。確かにずっと、自分が特殊であることに喜んでいたのだ。

情けないと思った。気付いていたのだ。──ピエロの行方だけでなく、その優越感こそが、真に姫の手を離せない理由だと。

自分がその特殊を持っているというのなら、この人が特殊を教えてくれたというのなら、二人でどのようにでも振る舞えよう。

そういうことだ。愚かだ。予言が出来たって、人より多く知ることが出来たって、結局手に入れられるのは、教団が戦争を起こすとか、自分を助けてくれた人の危機とか、そういうことぐらいなのに。

しかし、この力に助けられてもきた。例えば、ピエロと出会ったときだって。もし別の、リーンを売りとばしたりさらったりするような大人と出会っていたりしたら、リーンはその大人に頼ろうとはしなかったはずだ。ピエロだったから、助けてくれるピエロだったから、頼ったのだ。信用できる人なのだと、無意識に感じ取ったからだ。

そうだとしてもいっそ、父さんのように、教団本部であった姫司祭のように、先ほど見た巨漢の信者のように、何も知らずに、姫神を神だとあがめられたら、どんなにいいか。

そのように考えて、現実逃避を望む自分が情けなくて、でも優越感は消えなくて、いっそ全部嘘だったらいいのにと思うのだけれど、嘘だと言い切るには証拠も足りず、何より長年世話になってきた勘が力を肯定していた。

忘れたいのならそうすればいい。戦争もピエロも力も教団の実態も姫神も全部忘れて、忘れたふりをして、ただの姫神を否定する変わった子供だと思われて大人になり、いずれ迎える戦争から逃げるように、父や母と何処か、安全な、あるかどうかも分からない場所へ行けば、全部終わりだ。

そうするには、この手を離さなければならない。

それが出来ない。ここで姫から離れれば、姫はもう、目の前には現れない気がする。

怖い。

 

街外れの林まで歩かされたところで、呼び止められた。

「姫様ァ……」

縋るような弱々しい音に驚いたが、声音自体に、リーンはとても聞き覚えがあった。この声に、何度も叱られてきたのだ。

教団長である。

「………リーン嬢」

教団長はリーンが隣にいることに気づくと動揺と戸惑いがない交ぜになった表情を見せた。

姫はリーンの前に一歩出て、胸を張った。

「彼女を気安く呼ぶことは許さないわ。彼女も同様の存在なのだから」

教団長は目を大きく見開いて、尻餅をついた。リーンは棒立ちの状態で教団長を見下ろす。普段から叱られてばかりの教団長が、こんな風に、あがめるようにこちらを見るのは新鮮で、そしてちょっとだけ愉快だったが、同時にむずがゆくて仕方がなかった。

「ま、まさか………」

姫が高らかに宣言しようとするのを、リーンはすぐに感じ取った。──彼女こそ、我の半身!

阻止しようと声を張り上げる。

「ひ、姫付きの修道女になったのよ!」

姫が否定するかと思ったが、姫は驚いた様子でこちらを見ただけだった。リーンは強い視線で見つめ返す。

まだ自分は自分がそんな人外の力を持っていると認めたわけではない。無駄だと心のどこかで分かっていても、必死の意志表示、抵抗だった。

教団長はそれでも十分吃驚したようだった。

「リーン嬢……本当か?」

「ほ、本当よ」

教団長は姫の方を見た。

「真でございますか?」

「彼女が騙ることを疑うのは許さないわ」

感情のこもっていない、抑揚のない話し方が恐怖をあおったらしく、教団長は真っ青になって頭を下げた。

「も、申し訳ございません!」

「謝るのなら、リーンへだ」

「そ、そうでございますね。すまない……」

教団長に頭を下げられるのは、きっとこれっきりだろうな、とリーンは思った。姫神になれば、たくさん機会はあるのだろうが。

「え、いや、怒ってないし」

そういいながら、下げられた教団長の頭を見つめる。

──もう駄目だ。

こうやって、能力を疑って、姫神を疑って、姫を疑って、事実を疑って、こうやって考えて悶々とするのは、疲れる。

戦争やピエロのことは、起こるのだ。否定しても、起こるのだったら起こるのだ。絶対的だと知るのは、ピエロの情報を信じるのとは計り知れないほど疲れるだろうが、立ち向かうと今決められるほど自分は強くはないが、それでも、こうやって考えて否定して逃げても苦しいだけだ。

リーンにとっては、逃げた先に安定したものがない限り、逃げ続けることは立ち向かうことより苦しい。

だったらもう知ろう。

自分の力が勘なのか、超能力なのか。それは、知ろうと思えばすぐにでも知ることが出来るものだった。

教団長が頭を上げた。

「リーン嬢。それにしても、急な心境の変化だな。何があったんだ?」

「うーん、別に。ちょっと思うことがあって」

そういいながら、教団長を見つめる。

教団長は将来どうなる? 何をせんと行動している?

教団長には叱られてばかりだ。将来の話やその片鱗など耳にしたことも考えたこともない。

ならば、それを予言してみせよう。将来の行動から、どうなりたいかを考えて、本人に聞く。

確かめるのは、簡単だった。心のハードルが高かっただけだ。

リーンは今より幾分も老いた教団長が世界で起こる戦争を笑っている様子が思い浮かんだ。

その戦争と言うのもアバウトにしか思い浮かばないが、それでもそれを教団長が喜んでいるさまがわかった。

そして、傍らにいた姫──大人になっていることは分かるが、ぼんやりとしか姿が分からない彼女に、教団長が言う。

「これでわが妻を、よみがえらせて頂ける──」

つまをよみがえらせる?

「ねぇ、教団長」

この事実を直球で聞くのはさすがに度胸がいるが、そんなことで戸惑っていられない。

「教団長の奥さんって、死んでるんだっけ?」

「妻がどうかしたか」

触れられたくない話題なのだろう、ぞんざいな言い方をされればなおさらだし、当然の反応ともいえるが、教団長は不機嫌そうに言った。

「生き返ったらいいって、思ったことない?」

「………何を言っている。確かに亡くなった者が生き返るというのはロマンだが、そんなことは普通叶わない」

冷静に振る舞っているつもりなのだろうが、教団長の表情に一瞬、動揺の色が走った。それに、言い回しも気になる。

普通、叶わない。

「普通じゃなかったら叶うわけ?」

教団長の動揺がより大きくなった。

「き、姫神様に心からお仕えになれば、姫神さまは恩恵を与えて下さるであろう。」

結局教団長の口から出たのは教団に属するものとしての模範回答だったが、それでもリーンを確信させるのには十分だった。

「ひ、姫様のことを存じているのだろうな?」

姫の力絡みのことなのだろうが、あえてリーンは

「何のこと?」

と、しらを切った。教団長は気まずく思ったらしく、姫への用事も済ませないまま早口で言った。

「姫様、これで失礼いたします。後ほどまたお会いしたく存じます」

その後、深々と礼をし、姫は指を振った。

「ええ、好きな時に尋ねなさい」

「ありがたき幸せにございます」

教団長は立ち去っていく。ひとりも修導女を連れていない。珍しいな、と思った。

「教団長の未来を予言したのね」

姫に話しかけられ、リーンは姫の方へ向いた。

「………そうよ。もう、疑えないみたい」

「びっくりしたでしょう」

「それって、力があるってことに? それとも教団長のことに?」

「前者はもううすうすわかってたんでしょ。後者よ」

「そうよ。もういいでしょ、ピエロは………」

「教団長の過去は、戦争に繋がるよ」

リーンは戦争の言葉にピクリと反応した。聞き返す。

「走りながら聞く」

姫はリーンの興味を引いたことに満足そうに目を細めた。リーンの手を取りなおし、小走りで進みだす。

「彼はね……私の最も近い存在だった人なのよ」

「近い存在だった人?」

「初代姫神が死んだ後、その死体を後見人に消させたって言ったでしょう」

混乱していて良く覚えていないが、確かそういう話だったような気がする。

「ええ……まぁ」

「その後見人が教団長なのよ。当時はもっと若かったけど」

「えっ」

自分でも驚くくらい軽くてひっかくような、無声音に近い声が出た。

リーンは咳払いする。

「それは、どういう」

「初代姫神がうちを蘇生させた姿を見て、うちが姫神の力を持っていると信じたみたい。うちに、妻を生き返らせろってせがんできた。子どもを産むことなく死んだ……最愛の妻を.。存在を知ってる人も少ないだろうね。病気でずっと入院してたから人前に出る事なんてほとんどなかったようよ」

どうでもよさそうに姫が言う。

「なんだか疲れていたから断ったんだけど、諦める様子がないから、利用することに決めたの。で、言ったの。戦争を起こすの手伝ってくれたら、生き返らせてあげるって」

「戦争を起こすって」

リーンは、驚きと憤怒で、あれだけ放すのをためらっていた姫の手を弾き飛ばすように突き放した。姫は気でも狂ったかと言うようにリーンを見たが、すぐに悪戯っぽい笑みに変わった。

「だって、うちならできるんだもの。できることをやらないのは、もったいないでしょう」

「ばっかじゃないの! 本気? あんたがそんなことしてなにがいいっての?」

「……初代はね、世界を征服したがっていたの。自分なら全部統べられるって思ってたから」

悪戯っぽい笑みが今度は嘲笑になる。

「だけどできなかったのよ。あの女は。うちならできる。やってみせるわ。うちはどこでも受け入れられないんだもの。親もうちを受け入れなかったし、初代の女も、冷凍保存なんてまどろっこしい真似をした。その気になれば一緒に生きることも出来たし、その方が不遇の死に備えられたはずなのに。だったら、うちは全部統べるわ。問答無用で受け入れさせる。人の身でも神にはなれるんだもの」

リーンは呆れてものも言えなかった。幼稚と言えば幼稚だし、可哀想と言えば可哀想なのかもしれない。時間にも人にも取り残されたということだろう。

でも、世界を征服する言い訳にしては、あまりにも稚拙だった。稚拙なのに、かなえられてしまうかもしれないと思わせるところが怖いところだが。

それだけ世界は姫神を信仰している。

姫はリーンの手を握った。とっさにリーンは振りほどこうとしたが、それをさせないほどの強い力で抑え込まれる。

「ねぇ、リーン。あなたとうちは年も近いのだし、きっと分かり合えるわ。欲にまみれた教団長を隣に置く気はさらさらないけれど、リーン、あなたなら一緒にいたいと思うの。ねぇ、うちと一緒に来ない?」

優越感には負けそうになったのに、この誘惑には驚くほど心惹かれなかった。

「いやよ!」

姫にとってはこの世界に大切なものなど何一つないのだろう。全てにおいて自らを崇めている信者をありがたいと思ってなどいないのだろう。

リーンは違う。父も母もいる。母代わりのジェヒもいる。変わり者だと思われて、友達はほとんどいないけれど、自分を分かってくれる人なんて少ないけれど、うわ言ばかりの自分を微笑ましい目で見てくれている人だっていないわけではない。

文字通りの最上位の代償として、それらを失うのはあまりにも不相応だ。

「それは怖がっているだけよ」

姫はぴしゃりと言い返す。

「今ならマイナスはない。だから、踏み込むのが怖いの。でも、踏み込めばそこは至福よ。うちのように孤独に苦しむ必要なんてない。うちがいるんだもの。ねぇ、考え直さない?」

「直さない!」

姫は溜息をつき、あたりを見回す。

「そう。今はそれでいいわ。」

間もなく、女の姫司祭が目の前に現れた。それから小さな車が走ってきて、林を蛇行運転しながら進み、リーン達の前で止まった。姫司祭がドアを開ける。

姫は姫司祭に尋ねる。

「ソアは? あの子の始末をさせたらすぐに合流する予定じゃなかった?」

「それがまだ来ていないのです。連絡も取れない状況で」

「そう」

姫はリーンに笑いかける。

「さぁ、乗って。これでピエロのところに行ける」

今更疑っても仕方がない。

リーンは車に乗り込んだ。

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