Third
生まれたこの世界に破滅を

SIDE-I

──一方、こちらも日曜の朝。

午前中に、ということなので午前中に行って、ソアに会えるかは二の次だったのだが、ソアは来るのを知っていたかのように、姫神像の前でしれっと立っていた。

──しれっと、ではない。なんだか緊張しているようで、顔は青ざめていた。

「ソア?」

声をかけて初めて斎に気がついたらしい。

はっと顔を上げた。

「斎さん……」

「どうかした?」

「いえ……会えてよかったです」

明らかにソアの声か凝り固まっている。

そんなお世辞わざわざ言わなくていいのに、と思った。

ソアの顔を見ると、ソアは顔を横に振っていた。どうやら口に出ていたらしい。

「お世辞じゃないんですよ。本当に、会えてうれしいんです」

ソアはあわてたように笑顔になった。

愛想笑いなのだろうか。前のような違和感はなかったが、言葉通りの笑みだとは思えなかった。

「あの、私、姫司祭様を連れてきたんです。姫神様の予言を与えてくださるって」

「え、厚く信仰しないと受けられないんじゃないのか?」

「神様の考えになることですから。一重には言えないでしょう?」

「信仰心に関係してるっていうは所詮神様の戯言だったってことになるのか?」

皮肉るような意味で言ってみたのだが、ソアは意に介す様子も無く微笑むだけだった。


「あ、姫様」

ソアが振り向いて手を挙げる。斎もそっちの方向を向いた。

姫神増の奥から、薄紅色のドレスを着た黒髪の少女が歩み寄ってきた。おそらく、斎より年下だろう。

少女は斎の目の前に立つと優雅にお辞儀をして見せた。斎もつられて恭しく礼をする。

「あんたが、予言をしてくれる人?」

「ええ。姫って呼んで」

なれなれしい口調でそう言い、斎に握手を求める。求められるままに斎はそれにこたえる。

「ソアから聞いてる。よろしく、斎」

「ん、ああ…よろしく。えーっと……姫? 姫司祭の姫ってどういう……」

「姫っていうのは固有名詞よ。姫司祭って呼ばなくていいから」

姫、ねぇ。斎は口の中で単語を転がした。

ふっと姫に視点を戻すと、姫はまじまじと斎を見つめていた。ぎょっとして身を引く。

「な、なんだ?」

「斎……名前の由来は知ってる?」

「な、なんだよ……たしか、うちの両親が姫神教の熱烈な信者だったから、信仰に関係のある単語だって言うのは聞いたことが……」

姫はソアに視線をやる。ソアは笑顔のまま答えた。

「斎さんの『斎』という字は精進料理の意味合いがあって、祈りの回数を増やす、行動を律するなども含まれます」

「──なるほどね」

何がなるほどなのか、分からない。ソアをみる。ソアは顔色はますます悪くなっていた。今にもしゃがみこんでしまいそうだった。それでも弱音も何も言わない彼女が心配になり、それを隠したいのだろうがと思いながら斎は声をかけた。

「おい、大丈夫か? 風邪でも引いたんじゃないか」

「え……え?」

「顔色。めちゃくちゃ悪いけど」

「あ、そうですか?」

意見を求めるように、ソアは姫の方を向いた。姫もうなずく。それから、何かを命じるように指を動かした。

ソアは律義に礼をして、「では、おふたりで」と言い残して足早に去って行った。あの方向だと、教団本部の方だろう。

姫はソアの後ろ姿をしばらく見ていたが、取り残されているようになっている斎に気づいて、向き直った。

「予言ね。はい、じゃ、場所を移動しようか」

「教会に?」

斎は教会を見やる。教会には相変わらず多くの信者が押し寄せていた。

姫はわがままな子供そのものの顔でをつんと逸らす。

「あんな所にはいかない。人が多すぎるもの」

姫は自分を親指で指した。

「──知ってる。人がいないところ。ねえ、ロマンチックな方がいいでしょ」

特にいいとは思わないが、姫は斎の返事を必要としていないらしい。駆け出す。

なんだか幼さが含まれた走り方だった。


姫に連れられた場所は以前にも言ったことのある場所だった。

高級レストラン。ソアが連れてきた、あの場所。

レストラン前で姫は立ち止り、斎の方へくるりと向く。笑う。

「ここは初めて?」

それには明らかに肯定することを期待する響きが込められていた。適当にうなずくと、姫は予想に反して不機嫌そうになった。

「ソアに連れてきてもらったことがあるよね」

なんで知っている、と聞いたが姫はそうだよね、と詰め寄るだけだ。

肯定すると、姫はつまらなさそうに口をとがらせた。

「ん……代金はどうしたの」

「たしか、ソアが……前にスープに虫が入っていたことがあって、その弁償も含めて無料だ……とか言ってた」

「ふーん、うまいこと言ったわね。あー、その時にうちもいたんだ。だから私も無料。しかもここ、あんまり人が来ないし」

「うまいこと言った? どういう意味だ」

姫は答えなかった。都合のいいことしか聞こえない耳をしているらしい。

だからか、姫が入ってきた時も従業員がそろってお辞儀をした。


ソアの時より仰々しいぐらいのそれだ。

姫は気にする様子もない。

姫というぐらいだから、もしかしたら別の国の姫なのかもしれないな、とちらりと思った。


二人用の向かい合わせになるようなテーブルに座らせるなり、姫は予言を行おうとした。

何をされるのだろうと少し緊張していたのだが、姫は膝の上に手を置いて虚空を見つめているだけだ。

「……姫?」

黙れと言われるかと思ったが、姫は全くに気にしていない。眉をひそめる。

「ん……んーとねぇ………」

姫はずっと考え込むようなしぐさをしていた。

しばらくして喉に出かかった言葉を飲み下すようにしてから、首を振る。

「あなたは、すごく人生になければならない出会いをする──いや、してる」

姫はそう呟いてから、やはりまた思案に暮れている様子だった。そして、

「でも、その出会いのせいで破滅を招く」

「え?」

「そういう予言よ。当たってる?」

「当たってるって言われても……むしろ当られたら困る」

破滅を招く?

どこが平凡な暮らしなのだ。

姫はいたずらっぽく笑って、それから頬杖をついた。

「気をつけても無駄でしょうけど、気をつけてね」

どこか嬉しそうである。

なぜか、聞いていた予言と違う。

聞いていた予言はすべて具体的なものだったが、これは、人生になければならない出会いまでだ。

しかも、もうしているという。ここまでは具体性があると言っていいだろう。

しかし、破滅を招く? 実に抽象的だ。

もしかして、姫が嘘を言ってるのではないかと思う。

まあ、疑っても仕方がない。避ける方法なんてわからない。

半信半疑とはこのことだろう、とくに怒ろうとも思わず、食事の代わりに出された水で尿意をもよおした斎は席を立った。

目の前の空席をじっと、吸い込まれたようにじっと見つめてから、誰に言うでもなくぽつりと姫がつぶやく。

──破滅を招いてあげるからね。

 

トイレからの帰りに、ウェイトレスとすれ違ったので、何の気のなしに聞いてみた。

「なぁ、姫とソアが来たのっていつだ?」

「え?」

「前に、姫とソアが来たのっていつ?」

ウェイトレスはかわいらしく小首を傾げてから、

「一年ほど前でしょうか。姫様とソア様と、あと教団長の3人でいらっしゃってました」

「教団長?」

なんだそのVIPは。

姫とソアは教団で一番偉い人と会食していたのか。

そしてそんな場で虫をスープに入れるこの店ってどうなっているんだ。

ウェイトレスは斎の心中の困惑など知る由もなく、

「ここは教団の抱えの料理店ですからね。人は少ないですし、お値段も少々お高くなっておりますが、その分満足できるサービスを提供させていただいてます。ご満足いただけてます?」

などと笑顔で問いかける。

「あ、はぁ……でも、俺は払ってないんですけど」

「それは、お連れの方が姫様だからですよ。教団から支払われます。姫様は教団の重役なんだと存じ上げていますが、そうなんでしょう?」

姫司祭が重役? 違うだろう。1つの教会に3人はいる存在だぞ。

──今さらだが、いろいろと食い違いがでている。姫のいう情報の方が、おそらく嘘だ。

斎は恐る恐る問いかけた。

「じゃ……スープに虫が入るなんてことが過去にあったりとか」

ウェイトレスは笑顔を保ちながら、しかし少しだけ憤慨した様子だった。

「ここは入口とフロアに距離を広げて、砂ぼこりさえ入れないように工夫がなされてるんです。換気だって虫一匹は入れないよう完全に行われてますし、キッチンの衛生管理システムは整備されてますし。虫が入るなんてこと、絶対、この料理店の誇りにかけてありませんよ」

 

テーブルに戻ってくると、姫の目の前にグラタンが運ばれていた。

良い匂いが鼻のまわりに漂う。

「美味しいよ」

グラタンをフォークですくい上げて笑うその笑顔は本当においしいのだろう、と感じさせていた。

だが、どうにも疑わなければ気が済まない。

この女、言うことやることは嘘だらけだ。

重役?

虫?

虫はソアだけど。

嘘を指摘する気にはなれなかった。

斎は姫と同じグラタンを注文した。すぐにほとんど同じものが用意され、香ばしいにおいの漂うそれは姫の言うとおり美味であったが、その通りだなともいわなかった。

姫の食べるスピードはずいぶんと遅い。斎が注文し、斎のグラタンが来て、その熱いグラタンを食べ終わっても、まだ半分にも到達していない。

どうせ無料だ、と斎はパスタも頼んで平らげた。やはり、姫は食べ終わらなかった。

長い沈黙が続いてはいたが、斎はその場をごまかすための会話をしようとは思えず、その斎の思いを察しているかのように、姫もまた、グラタンを平らげるまで、特に何も言わなかった。

特に何も言わなかった。

 

店を出たところで、ソアが立って待っていた。

「迎えに来たの?」

姫がソアに、どちらかというと迷惑そうな声色で言う。

ソアは微笑を浮かべたままうなずく。

午後のティータイムといった時間帯だろう。斎は空を見上げた。この上空は青いが、文字通りの暗雲が教団本部の方向では垂れこめている。

暗雲から一人、どこかで見たことのある白いローブを着た男性が走り寄ってきた。姫はひらひらと手を振る。

斎より一回り年をとっている──といっても30代ぐらいだろう。顎鬚(あごひげ)が薄く生えていた。白髪が混じっているようで、思わずまじまじと見てしまう。

顎鬚の彼は斎など見ていなかった。斎どころかソアさえみておらず、姫だけを見ていた。姫の元で膝を落とす。

「どうしたの?」

「もう一人の化身様が……さきほど目撃情報が修道士の一人から出まして……」

そのあとは聞こえなかった。

姫とぼそぼそと会話を交わすと、顎鬚の彼は立ちあがった。手を差し出し、姫はそれに自分の手を載せる。

こちらを振り返る。

「うちは一足先に帰る」

引きとめる斎たちには一言

「おふたりでデートでもすればいいじゃない。ソア、後はよろしく」

こう投げて、本当に去って行った。

「デート?」

ソアと斎は同時に言って、思わず顔を見合わせていた。

判読不能の感情。

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